芭蕉の句碑


海暮て鴨の声ほのかに白し

宮古市光岸地の高台に大杉神社がある。


大杉神社


大杉神社に青葉遊園がある。

青葉遊園に芭蕉の句碑があった。


海暮て鴨の声ほのかに白し

出典は『野ざらし紀行』

貞亨元年(1684年)12月、熱田で詠まれた句。

 宮古市指定有形文化財 歴史資料

鴨墳の碑

 この碑は、かつて、宮古から鍬ヶ崎に抜ける旧国道45号の夏保峠にあったと伝えられ、転々と位置を変え現在の地に建立されたものです。

 江戸時代の天明3年(1783年)に盛岡の俳人であった小野素郷が、宮古津軽石の俳人里川とともに鍬ヶ崎を訪れ、夏保峠に立ち寄り、眼下に暮れ行く港の景色を眺めた時に、小野素郷は芭蕉の詠んだこの俳句を思い浮かべ、自らこの句を書き石碑を建てたといわれています。

 天明8年(1788年)8月16日、井上重厚は夜食房夜来と共に宮古を訪れ、鍬ヶ崎の大坂屋に泊まり、浄土ヶ浜で舟遊びをしている。

十六日、鍬か崎大坂や何かしに泊る。いまは昔此宮古島邊の傀儡かる藻といふめる者、我風流の子たる盛岡何かしによはひて、篤く鴛鴦の衾を重ぬ、されと彼女病におかされて早く世になき人となれりとある男か寢物語の哀なるくまくま旅窓のつれつれこゝに思ひ出て、其事をともに能しれる同行の夜來をすゝめて懐舊の連歌一巻を綴る、不可思議の因縁ならすや。

ひしき藻に玉虫聞ん聲あらは
   重厚
同し心を待宵の舟
   夜來

『奥の紀行』

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