元禄2年(1689年)4月、「奥の細道」の旅で須賀川の相良等躬亭で巻かれた歌仙の発句である。 |
「奥の細道」の旅に同行した曽良は上諏訪で生まれ、中洲福島の岩波家に養子に入った。 |
剃捨てて黒髪山の故露もかへ | 曽良 |
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唐土へ雲吹き拂へ十三夜 | 自徳 |
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春立つや富士の白雲出でにけり | 素檗 |
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湖へ出久かたの田植かな | 若人 |
黒髪山は霞かゝりて、雪いまだ白し。 |
曾良は河合氏にして惣五郎と云へり。芭蕉の下葉に軒をならべて、予が薪水の労をたすく。このたび松しま・象潟の眺共にせん事を悦び、且は羈旅の難をいたはらんと、旅立暁髪を剃て墨染にさまをかえ、惣五を改て宗悟とす。仍て黒髪山の句有。「衣更」の二字、力ありてきこゆ。
『奥の細道』 |