芭蕉の句碑


風流の初やおくの田植うた

諏訪市中洲福島に福島公民館がある。


福島公民館の前に福島御頭御射宮司社がある。


嘉永2年(1849年)8月3日、上棟。

諏訪市有形文化財である。

社殿の左手に芭蕉の句碑があった。


花本大明神

風流の初やおくの田植うた

 元禄2年(1689年)4月、「奥の細道」の旅で須賀川の相良等躬亭で巻かれた歌仙の発句である。

天保15年(1844年)6月、建立。

 「奥の細道」の旅に同行した曽良は上諏訪で生まれ、中洲福島の岩波家に養子に入った。

福島の北の辻に曽良の句碑があった。


剃捨てて黒髪山の故露もかへ
   曽良
唐土へ雲吹き拂へ十三夜
   自徳
春立つや富士の白雲出でにけり
   素檗
湖へ出久かたの田植かな
   若人

 元禄2年(1689年)4月1日、日光で詠まれた句。

黒髪山は霞かゝりて、雪いまだ白し。

剃捨て黒髪山に衣更   曾良

 曾良は河合氏にして惣五郎と云へり。芭蕉の下葉に軒をならべて、予が薪水の労をたすく。このたび松しま・象潟の眺共にせん事を悦び、且は羈旅の難をいたはらんと、旅立暁髪を剃て墨染にさまをかえ、惣五を改て宗悟とす。仍て黒髪山の句有。「衣更」の二字、力ありてきこゆ。

『奥の細道』

芭蕉の句碑に戻る