芭蕉の句碑


むざんやな甲の下のきりぎりす

妻沼聖天山に妻沼公民館がある。


妻沼公民館にも芭蕉の句碑があった。


むざんやな甲の下のきりぎりす

 元禄2年(1689年)7月24日(陽暦9月7日)、芭蕉は金沢より小松へ入る。翌25日、多太神社に詣でる。27日、山中温泉に向う時に再び多太神社に詣で、句を奉納。

 此所、太田の神社に詣。実盛が甲・錦の切あり。往昔、源氏に属せし時、義朝公より給はらせ給とかや。げにも平士のものにあらず。目庇より吹返しまで、菊から草のほりもの金をちりばめ、竜頭に鍬形打たり。実盛討死の後、木曾義仲願状にそへて、此社にこめられ侍よし、樋口の次郎が使せし事共、まのあたり縁起にみえたり。

むざんやな甲の下のきりぎりす

『奥の細道』(小松と云所にて)

 昭和54年(1979年)春、妻沼聖天山開創八百年記念に斎藤別当実盛公顕彰句碑建設の会が建立。

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