芭蕉の句碑


めにかゝる雲やしはしのわたり鳥

路面電車「蛍茶屋」下車、長崎街道を行く。


国道34号の地下道を潜り、坂を上ると「渡鳥塚」があった。


めにかゝる雲やしはしのわたり鳥

出典は『芭蕉句選拾遺』

『渡鳥集』には「日にかゝる」とある。

右側面に去来の句が刻まれている。

故さとも今はかり寝や渡りどり

『渡鳥集』巻頭の「入長崎記」所収の句。

渡鳥塚

【表】
め(原句は日)にかゝる雲やしばしのわたり鳥   翁(芭蕉)

【右】
故さとも今はか(仮)り寝や渡どり
落柿舎(去来)

【裏】
   文化十とせ(年)の夏みな(水無)月 芭蕉の徒弟
   こゝろを合せて建てけるよしを祥禾しる(記)す

原句は、宝永元年(1704年)刊、去来・卯七共撰『渡鳥集』所収。

長崎生まれの芭蕉門俳人向井去来(落柿舎)の俳統は長崎で世代を重ね、幕末に至るが、長崎北馬町住の俳人平田祥禾は去来百十年忌に当って馬町墓地にこの師弟句碑を建立した。

国道拡張工事で、敷地縮小のため、平成9年11月、馬町自治会寺田大作会長の肝煎りで若干移動して再建された。

長崎俳人会

市指定有形文化財   渡鳥塚(句碑)

 文化10年(1813年)、長崎の俳人平田祥禾を始めとして、当時の蕉門俳人が、芭蕉120回忌、去来110回忌に当たり、馬町墓地に建立したもので、蕉風俳諧の祖松尾芭蕉の句「めにかかる雲やしばしのわたり鳥 翁」(建立当時のベストセラー『芭蕉句選拾遺』所収句)と蕉門俳人で長崎出身の向井去来の句「故さとも今はかり寝や渡りどり 落柿舎」を表面及び右面に刻み、裏面に「文化十とせの夏みな月 蕉門の徒弟こころを合わせて建けるよしを祥禾しるす」と刻んである。

 長崎の俳諧史の歴史の中で芭蕉塚は数本建立されたが、芭蕉・去来の師弟句碑はなく、文学的にも大きな価値を持つものである。

長崎市教育委員会

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