芭蕉の句碑


花の陰うたひに似たる旅年哉

南箕輪村北殿の国道153号からJR飯田線北殿駅に向かって明和坂を下る。


右手の竹藪の前に芭蕉の句碑があった。


芭 蕉 翁

花の陰うたひに似たる旅年哉

出典は『阿羅野』(荷兮編)。「大和國草(平)尾村にて」と前書きがある。

貞亨5年(1688年)、『笈の小文』の旅の途中、吉野の平尾村で詠まれた句。

安永3年(1774年)、三狂庵門人箕輪連中建立。

三狂庵は飯田藩士窪田住武。俳号は桐羽。「伊那俳壇の祖」と言われる。

横井也有書。也有73歳の時である。

天明3年(1783年)6月16日、也有は82歳で没。

 天明8年(1788年)3月9日、蝶夢は江戸へ下る途中で殿村に泊り、翁塚のことを書いている。

稲辺の川の向谷間に高当の城の見へて、『甲斐軍記』のことを思ふも更也。殿村に泊る。也有、七十三にて翁塚を建る。

   花の陰うたひに似たる旅寐哉


『諸国翁墳記』に「旅寝塚 信州伊奈郡殿村在 三狂庵門人建之」とある。

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