櫛田の社は菊地寂阿入道が此宮の前にて、馬のすくみて行ざりければ、菊地が軍だちにいかなる神かとがめ給ふべきとて、社壇へ矢を射かけて神躰の大蛇を射殺しける宮居なり。 |
「花本大神」とは、松尾芭蕉に下賜された神号「花本大明神」のことである。(神号は天保14年(1843年)芭蕉百五十回忌にあたり、真正芭蕉風を唱える天保三大俳人の一人田川鳳朗が京二条家に請願し下賜されている) 博多では、江戸中期から明治にかけて芭風俳諧が広く好まれ、芭蕉二百回忌を前に、追善の誠を表し、有志によってこの句碑が明治26年10月に建立されている。 |
弘安4年、元の軍勢10万博多の港に侵攻して全滅した時、敵の軍船が遺棄したと伝えられる。赤石白石いずれも出土品で朝鮮チュルバリ港付近の石材と云う。 |