芭蕉の句碑長 崎


波の間や小貝にまちる萩の塵

雲仙市国見町神代(こうじろ)の国道251号沿いに金刀比羅神社がある。

金刀比羅神社


金刀比羅神社の県道131号雲仙神代線沿いに芭蕉翁の句碑があった。



芭蕉翁

波の間や小貝にまちる萩の塵

 元禄2年(1689年)8月16日、芭蕉が天屋五郎右衛門の案内で種(色)の浜に遊んだ折に詠まれた句。

芭蕉翁の句碑

 この句碑は、文化13年(1816年)佐藤春喬(順兵衛)によって建てられたものである。俳聖「芭蕉」を慕って次の一句を刻ませている。

   「波の間や 小貝にまじる 萩の塵」

 春喬は古部の生まれで、神代鍋島藩に仕え、俳諧師として江戸時代神代で俳句の黄金期を作った人である。余暇を得ては諸国を行脚し、江戸でも著名な俳人と深い交流を持ち、門人も多かったという。

 芭蕉は、九州を訪れたことはなく、元禄7年(1694年)大阪で病没している。

 ところが、この病が赤痢であったと言い伝えられ、やがて芭蕉の碑が赤痢の神(赤腹の神)として信仰されるようになり、赤痢が流行すると近郷近在の多くの人々が悪疫退散の祈願をするようになった。

 長崎と芭蕉はなじみが深く、県下で15ヶ所、芭蕉の追善句碑が発見されている。

国見町教育委員会

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