芭蕉の句碑


疑ふ那塩農華裳宇羅廼春

 嘉永5年(1852)閏2月23日、吉田松陰は木浦を経て平沢を通り本庄へ。

木浦を經、舟にて一川を濟る。此の間稍海濱を離るれども、平澤に至り又海濱に出で、平沙を行く。本庄に宿す。


 にかほ市金浦金浦の旧羽州街道沿いの旧家に「疑ふなうしおの花もうらの春」という芭蕉の句碑があるというので、訪ねてみた。

旧家の裏庭に芭蕉の句碑があった。


芭蕉翁」はともかく、句は読めなかった。

そこで、にかほ市教育委員会に問い合わせてみた。

郷土史家の調査報告書によれば、次のように刻まれているとのことであった。

疑ふ那塩農華裳宇羅廼春

出典は『いつを昔』(其角編)。

二見の図を拝み侍りて」と前書きがある。

元禄2年(1689年)春、芭蕉46歳の句。

先祖の方が上浜の方から移したものだとのこと。

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