芭蕉の句碑


風流のはしめやおくの田植うた

三春町狐田の高台に狐田稲荷神社がある。


狐田稲荷神社の鳥居


鳥居の右手に芭蕉の句碑があった。


風流のはしめやおくの田植うた

出典は『奥の細道』。

 元禄2年(1689年)4月、須賀川の相良等躬亭で巻かれた歌仙の発句である。

享和3年(1803年)、井田・草也・掬明ら建立。露秀書。

井田は田部井近矩。別号養斎。

文政3年(1820年)、没。

井田の句

露けしや濃紫の漬なすひ


小野寺慵斎は、その子らしい。

井田 一号仏松庵 奥州三春藩 田養斎

 くたひれて花の影ふむ月夜かな 井田


草也は俗名不明。

掬明は三春荒町の平田治右衛門俊雅。

天保2年(1831年)、83歳で没。

 『諸国翁墳記』に「田植塚 陸奥三春狐田村 稲荷山功徳院境内 施主 井田・草也・掬明・鶴秀」とある。

狐田稲荷神社の社殿


 延暦20年(800年)頃、桓武天皇の御代に京都伏見稲荷のご分霊を祀られたものと伝えられている。

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