芭蕉の句碑


『奥の細道』

〜芭蕉の文学碑〜

JR羽越本線象潟駅の北側に芭蕉の文学碑があった。


  象潟
きさかたの雨や西施か
          ねふの花
   夕方雨やみて處の
   何かし舟にて江の中を
   案内せらるゝ
ゆふ晴や櫻に凉む
          波の華
   腰長の汐といふ處は
   いと淺くて鶴おり立て
   あさるを
腰長や鶴脛ぬれて海凉し
         武陵芭蕉翁桃青

芭蕉象潟自詠懐紙(蚶満寺蔵)を模したものである。

『奥の細道』の「象潟や雨に西施がねぶの花」の初案。

 俳聖芭蕉は、元禄2年(1689年)6月16日曽良を同伴し、九十九島八十八潟と称された絶勝の地象潟を訪れ、2泊した。紀行文『奥の細道』の中に「江の縦横一里ばかり、俤松島にかよひて又異なり。松島は笑ふが如く、象潟はうらむが如し。寂しさに悲しみをくはえて、地勢魂をなやますに似たり。」とある象潟は文化元年6月4日の大地震で地盤が隆起して、現在の島の点在する田圃と変じた。風雅の旅人芭蕉の秀でた俳文学を称揚し、来象を記念して文学碑を建立し、永く顕彰する。

   昭和47年6月16日

芭蕉文学碑建立委員会

奥の細道記念切手碑もあった。


建立趣意

 俳聖松尾芭蕉が『奥の細道』の遠大な旅に出発してから昭和64年は300年の記念すべき年に当たる。

 郵政省はこれを契機に昭和62年より「奥の細道シリーズ郵便切手」の発行を10集にわたり企画され、芭蕉行脚最北の目的地として有名な「象潟」が第7集に選定された。

 この栄誉を記念し、これを後世につたえるため世界一大きな切手碑を発行日に建立する。

   昭和63年8月23日

象潟町

切手碑というものがあるとは知らなかった。

恐らく「世界一大きな切手碑」なのであろう。

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