芭蕉の句碑


花さかり山は日ころの朝ほらけ

加須市多門寺に愛宕神社がある。


多門寺の獅子舞は加須市指定無形文化財。

愛宕神社


愛宕神社に芭蕉の句碑があった。


花さかり山は日ころの朝ほらけ

出典は『芭蕉庵小文庫』

貞亨5年(1688年)春、『笈の小文』の旅の折、吉野で詠まれた句。

明治24年(1891年)6月、建立。

東久世通禧書

 東久世通禧(ひがしくぜみちとみ)は、幕末の朝廷で尊皇攘夷を唱え活躍した。文久3年(1863年)8月18日、文久の政変で京都から追放された7人の公卿のひとり。

明治45年(1912年)1月4日、歿。

芭蕉の句の下に許十の句が大きく刻まれている。

敷島ややまと心を花に退く

 許十は鈴木氏。通称多宮、実名忠全。「諸術の免許皆伝十種なりと桜を愛玩ありしに」より一櫻居許十と号したそうだ。

文久2年(1862年)4月24日、50歳で卒す。

 ちなみに許六は槍術・剣術・馬術・書道・絵画・俳諧の6芸に通じていたとして、芭蕉は「六」の字を与えたのだという。

久米幹文書

久米幹文(くめもとぶみ)は国学者。明治27年(1894年)、67歳で歿。

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