芭蕉の句碑


御命講や油のやうな酒五升

勝浦市浜勝浦に本行寺という寺がある。


本行寺本堂


 暦応2年(1339年)、真言宗から日蓮宗に改められたと伝えられているそうだ。

本堂の手前右手に後ろ向きになって芭蕉の句碑があった。


御命講や油のやうな酒五升

出典は『芭蕉庵小文庫』

元禄5年(1692年)、芭蕉49歳の時の句。

文久元年(1861年)4月、枕流亭一澄建立。菊守園見外書。

碑の裏に一澄の句が刻まれている。

冬籠唯浪の音松の声

 一澄は本名君塚茂助。勝浦上町の米穀雑貨商「出店」の主人。菊守園見外に俳諧を学ぶ。また旭松庵の号をもつ挿花の宗匠でもあった。雨葎庵路米も一澄に挿花を学んでいる。

文久2年(1862年)、記念集『五升塚集』を上梓した。

見外は甲斐の人、小林甚蔵。田喜庵護物に俳諧を学ぶ。

本堂の右手に釈迦堂があった。


勝浦市指定文化財である。

 池上本門寺より日蓮上人の御歯骨が分与され厨子に奉安されているということだ。

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