芭蕉の句碑


蕎麦はまだ花でもてなす山路かな

利根郡片品村土出に武尊神社がある。


武尊神社に芭蕉の句碑があった。


蕎麦はまだ花でもてなす山路かな

出典は『続猿蓑』(沾圃編)。

いせの斗従に山家をとはれて」と前書きがある。

元禄7年(1694年)9月、伊賀で詠まれた句。

 『笈日記』(伊賀部)には「支考はいせの国より斗従をいざなひて、伊賀の山中におもむく。」とある。

文化9年(1812年)8月、沼田東入連中建立。

 利根郡片品村土出新井で東武バスを降りてすぐ左の公会堂裏が多聞庵址、そこはムーボー様とかいう彼岸の中日にお盆の流行仏と隣合って、よくも残っていた3尺2寸に2尺8寸の句碑1本。文化9年江戸文来庵二世吐ハン(※「ハン」=「馬」+「風」)の指導下に沼田東入連中建とある。この建碑の前年吐ハンがわざわざ文来庵相続のあいさつに来遊した時催した歓迎俳カイの奉額が今でも古仲の大園寺観音堂にある。元禄7年『続猿蓑』の句で割合に珍しい。

『上毛芭蕉塚』(本多夏彦著)

 『はせをつか』(楓幻亜編)に収録されており、片品村に現存する芭蕉句碑の中で一番古いものである。

 『はせをつか』(楓幻亜編)に「納涼塚 利根郡土出 狐裘 此あたり眼に見ゆるもの皆涼し」とあるが、現存しない。

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