芭蕉の句碑福 岡


〜枯野塚〜

福岡市東区馬出にNTT馬出ビルがある。


馬出ビルの北側の民家に「枯野塚」がある。


芭蕉翁之墓

元禄12年(1699年)、郷土の俳人哺川は、博多に滞在していた松尾芭蕉の高弟向井去来から芭蕉の辞世の句を贈られました。哺川はこの好意に深く感激し、同じ芭蕉の高弟志太野坡に「芭蕉翁の墓」の碑名の書を依頼し、元禄13年(1700年)に枯野塚を建立しました。芭蕉追慕の墓碑(句碑)としては、全国的にみて最も古い部類に属し、俳譜史上の価値が高いことなどから、県の史跡に指定されています。

 宝永元年(1704年)、記念集『枯野塚集』(哺川撰)刊。採荼庵杉風序。嵯峨野去来跋。

 宝永2年(1705年)、魯九は長崎に旅立つ。帰途、「枯野塚」に詣でている。

   はこさき枯野つかに詣てゝ

さひしさを取ひろけたるすゝき哉


「枯野塚」の左手に「哺川菴主之墓」がある。

正徳癸巳年 正月初三日

木立に隠れて芭蕉の句碑があった。


旅に病んで夢は枯野をかけめぐる

出典は『笈日記』(支考編)。「病中吟」と前書きがある。

 元禄7年(1694年)10月8日、大坂南御堂前花屋仁右衛門宅で詠まれた句。

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