芭蕉の句碑


梅か香にのつと日の出る山路哉

本宮市糠沢城ノ内の県道28号本宮三春線沿いに戊辰の役城ノ内古戦場がある。


本宮市指定史跡

戊辰の役城ノ内古戦場


戊辰戦役の激戦地で、慶応4年7月26日戦死者60余名が散った地である。

29日、二本松城落城。

登椰氏宅に向かう坂道途中の斜面に芭蕉の句碑があった。


梅か香にのつと日の出る山路哉

元禄7年(1694年)春、芭蕉51歳の句。

『炭俵』冒頭、志太野坡と両吟歌仙の発句である。

明治26年(1863年)11月19日、登椰隈水建立。

左側に隈水の句が刻まれている。

   手向を侍る

(こう)の香(か)に時雨る空や翁塚   七十一翁隈水

 文政6年(1823年)11月、糠沢城ノ内の名主治郎左衛門の嫡男として生まれる。

 弘化4年(1847年)、名主役を継ぐ。

 明治26年(1863年)11月19日、祖翁二百年祭に芭蕉の句碑を建立。

 明治42年(1909年)12月4日、87歳で没。

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