芭蕉の句碑


古池や蛙飛込水の音

大義建設から「五穀山延命寺地蔵尊参道」を行く。


地蔵尊


「長瀬氏館跡」である。

 長瀬氏は源氏の一族であって、東国に覇をなそうとしていた。その謀略に従い、東信地方の重要地点であった依田庄に来て庄司となり、長瀬氏を称してこの地に居を構え、近くのお城を本城としていたものと推考される。

 時あたかも長瀬判官代義員(平家物語では重綱)は、木曾地方に隠れて兵を養っていた従兄の源(木曾)義仲が平氏に抗して兵を挙げるや、これを依田城に迎えて従い、東信と西上州の連合軍とともに平軍を追討して京に進み入ったが、遂にその四条河原で戦死した。時に寿永3年(1184年)であった。

 次いで37年の後、承久の変が起こるや、朝廷方に属していた同名の長瀬判官代は、美濃に進み出て北条勢と戦っており、また北条方の中にも長瀬六郎の名が見えているが、両人とも義員の後である。

 その後長瀬氏の名は史上に見えないが、源氏勃興の当時から引き続き在地勢力者としてぬきんでた巧をたてた。その名は永く歴史に残るであろう。

信濃史学会長 文学博士 一志茂樹

地蔵尊の左手に古井戸がある。

古井戸の傍らに芭蕉の句碑があった。


古池や蛙飛込水の音

出典は『蛙合』(仙化編)。

貞亨3年(1686年)春、深川芭蕉庵で詠まれた句。

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