貞亨5年(1688年)春、「笈の小文」の旅の途上で詠まれた句。服部『蕉翁句集』(土芳編)には「よし野にて」と前書きがある。芭蕉45歳の時である。 |
天保10年(1839年)、上野国甘楽郡羽沢村(現:群馬県甘楽郡南牧村)に市川五部兵衛の六男として生まれる。 慶応元年(1865年)、27歳の時に熊谷宿で本陣をつとめる竹井家を継ぎ、14代当主となる。 明治12年(1879年)、埼玉県会の議員に当選、初代議長に就任する。 明治16年(1883年)3月、熊谷堤に染井の桜を植える。 明治19年(1886年)、内田朴山らと水音盟社を組織する。 明治35年(1902年)3月、熊谷堤に句碑建立。 明治35年(1902年)、渋沢栄一を会頭として学生誘掖会を開設。 大正元年(1912年)8月7日、74歳で死去。熊谷寺に葬られた。その後、墓地は熊谷市内大原に移動される。 |
句碑は熊谷堤工事の時に石上寺門前に移されたが、石上寺工事の後寺内に移された。 |