芭蕉の句碑
鷹ひとつ見つけてうれし伊良虞埼
田原市伊良湖町宮下の国道259号沿い岩の上に芭蕉の句碑が見える。
芭蕉翁之碑
左側面に芭蕉の句が刻まれている。
鷹ひとつ見つけてうれし伊良虞埼
出典は『笈の小文』。
貞享4年(1687年)11月、芭蕉が保美の里に隠棲していた杜国を訪ね、共に伊良湖崎に遊んだ時の句。
同十二日
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鷹ひとつ見付てうれしいらこ崎
| | はせを
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冬あれや砂吹あくる花の波 | 閑人 | 野仁
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杜國に逢て
鷹ひとつ見付て嬉しいらこ崎
始て杜國を得て其生質を称する吟なり。山家集に「巣鷹渡る伊良古か崎をうたかひて猶木にかくる山かへり哉」されはいらこに鷹の掛合、動くましくこそ
寛政5年(1793年)10月、芭蕉百回忌に建立。
記念集『鷹の石ふみ』(子蔵・免孔・為蝶共編)、刊行。
元禄13年(1700年)、服部嵐雪は吉田から舟で伊良古崎を経て伊勢に参詣した。
沖にたゞよふこと半日ばかり、のりを考るに五十里も侍らんといふ。漸空しづまりて皆いき出たり。鷹ひとつ見付てと、ばせを翁の申されたる所なれば、なつかしく立あがりて、
藤浪にみさご(※「舟」+「鳥」)は得たりいらこ崎
寛政4年(1792年)5月末、風廬坊は臥六・為蝶と共に伊良湖に遊ぶ。
かくて伊良湖村にさしかゝれば此辺りは都て雪かとも疑ふしら砂にして照込む日盛りの歩行は殊に凌ぎがたし。
砂道に一足ごとの暑さかな
寛政5年(1793年)、是什坊は風廬坊と共に伊良湖に遊ぶ。
寛政7年(1795年)、風廬坊は奥羽行脚の途次伊良湖を訪れる。
大正13年(1924年)12月12日、荻原井泉水は伊良湖を訪れたが、通行禁止で芭蕉の句碑は見られなかった。
伊良胡岬の尖端、岩上なる松の木の下には、表に「芭蕉翁之碑」とし、裏に「鷹一つ」の句を刻した石が立っているという。そこまで行って見たかったが、通行禁止は残念だった。
昭和14年(1939年)4月20日、種田山頭火は伊良湖崎を訪れ、芭蕉の句碑を見ている。
伊良湖明神はありがたかつた、閑静なのが何よりだ、御手洗は汲上井戸だがわるくなかつた、磯丸霊神社とあるのもうれしかつた、芭蕉句碑もあつた、例の句――鷹一つが刻んであつた。
岬の景観はすばらしい、句作どころぢやない、我れ人の小ささを痛感するだけだ!
なまめかしい女の群に出逢つたのは意外だつた、芭蕉翁は鷹を見つけてうれしがつたけれど、私は鳶に啼かれてさびしがる外なかつた。
易者さんですか、俳諧師ですよ!
昭和40年(1965年)、山口誓子は伊良湖崎を訪れ、芭蕉の句碑を見ている。
その辺に来たとき、私達の自動車は停った。道端左手に岩山があって、大きな枯松の下に角柱の石が立っている。芭蕉の句碑なのだ。私はその岩山に迫った。草をかきわけ、岩の裂目に足をかけて攀じ、横たう松の枝をくぐって、句碑の立っているところまで登った。私のズボンは泥だらけになった。
句碑は正面に「芭蕉翁之碑」、左側面に
鷹ひとつ見つけてうれし伊良虞埼
と刻まれている。
付近は芭蕉句碑園地として整備されているが、句碑のあるところまで登ることはできない。
新しい句碑が建立されていた。
鷹ひとつみ付けてうれしいらこ崎
よく読めないが、芭蕉の真筆を複製したものだそうだ。
この句は、芭蕉が愛弟子の杜国の傷心を慰めようと、貞享4年(1687年)冬越人を伴い、保美に杜国を尋ね馬を並べてこの地に清遊したとき詠んだ句である。
昭和58年3月建立
渥美町
西行も伊良湖で鷹の歌を詠んでいる。
二つありける鷹の、いらごわたりすると申しけるが、一つの鷹はとどまりて、木の末にかかりて侍ると申しけるを聞きて
すたか渡るいらごが崎をうたがひてなほきにかくる山帰りかな
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