翁 塚


芳春寺〜色紙塚〜

越前市高瀬に芳春寺という寺がある。


河濯山芳春寺

 「河濯(かわそ)四光尊天」をご本尊に祀る。臨済宗大徳寺派の寺院である。

 古く河濯権現として呼ばれて、広く親しまれている。7月30日から8月1日に行われる祭礼は大変賑う。

 境内には、県内最古の松尾芭蕉の色紙塚や求道の人宮崎道安の歌碑がある。

境内の左手に「芭蕉翁之墓」と刻まれた標柱があった。


碑陰に「文政六癸未正月再建」とある。

その後ろに石灯籠がある。


獻芭蕉翁 寛政十一己未十月十二日 百練舎五中社中」と刻まれている。

色紙塚


芭蕉翁之墓

 元禄2年(1689年)、府中の俳人露朝が芭蕉から「古池や蛙飛こむ水の音」の色紙を頂いたという。

 享保15年(1730年)3月12日、百花台嵐技は露朝の所持していた色紙を埋めて「色紙塚」を建立。蓮二坊書。

『諸国翁墳記』に「色紙塚 越前府中アリ 連中建」とある。

嵐技は本多家の家臣上坂平左衛門。支考の門人。初代宗匠。

寛延4年(1751年)76歳で没。

碑陰に支考の書いた碑文があるが、風化している。

寛政10年(1798年)、『色紙塚』刊行。

 初め台座は1段だけだったが、文化10年(1813年)に2段を加え、3段になった。

副碑があった。


大正7年(1918年)、花吹仙等也建立。

等也は長尾権左衛門。十代宗匠桃々庵等仙の孫。十八代宗匠。

支考の碑文が刻まれている。

此名謂色紙塚事者以古池之小色紙某所埋故也焉。抑謂此地之大觀乃者左河濯之社而書殘奧之細道給歴。謂越智之山陰雛之嶽見爲東西其山々而爲不有乏三越名縦。則爰便其時之吟行而永令遊其魂與也。

      享保庚戌三月十二烏日

             門人小子   蓮二坊拜誌

『奥の細道』に「漸く白根が嶽かくれて、比那が嵩あらはる。」とある。

「色紙塚」の右に支考の供養塔があった。


梅花佛

大正15年(1926年)、花吹仙等也建立。

「色紙塚」の左に等也の碑があった。


花盛今日もうつゝの紀行かな

昭和4年(1929年)、建立。

昭和15年(1940年)、85歳で没。

芳春寺


昭和10年(1935年)春、岡田啓介筆の「河濯山」額があった。

 慶応4年(1868年)1月21日、岡田啓介は越前国福井に生まれる。

 昭和9年(1934年)7月8日、第31代内閣総理大臣となる。

 昭和11年(1936年)2月26日、反乱軍に襲撃されたが、難を免れた。

昭和27年(1952年)10月17日、84歳で没。

福井市の中央公園に岡田啓介像がある。

「ふるさとを偲ぶ散歩道」へ。

「芭蕉句碑」に戻る