俳聖芭蕉翁は十一世住職明式俳号千那を訪ねること3度、あるとき当寺で病に臥し、 |
の名句を残した。境内に真筆の句碑がある。 |
寛保3年(1743年)、芭蕉五十回忌に十二世住職角上が「病雁」の短冊を埋めて建立。 角上は千那の養嗣三上明因。 |
寺前の興もとりあへず |
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少年 |
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小僧ども庭に出けり罌粟坊主 | 角上 |
千那子息 |
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山寺は山椒くさき火たつかな | 角上 |
堅田 |
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剃り嫌ひいかにやいかにや夏けしき | 角上 |
昭和38年(1963年)、芭蕉二百七十回忌に本福寺二十世三上明暢建立。 |
本福寺は満月寺から引き返して右へ曲った奥にある。いつもは見過ごしていた寺であるが、今日は芭蕉の句碑を見んとて訪ねた。 しかし句碑の所在は直ぐにはわからない。通りかかったひとが案内して呉れた。そのひとは信徒総代だった。コンクリートの本堂の裏庭は藪であったが、大きな山茶花の下に三翁塚(芭蕉翁、千那翁、角上翁)、すこし離れて芭蕉の 病雁の夜寒に落て旅寝哉 の句碑が立っている。ずんぐりした自然石。 (中略) 昭和三十八年、第二十世の住職がこの句碑を建てた。ちなみに、千那は第十一世、角上は第十二世。
『句碑をたずねて』(近江路) |