芭蕉の句碑滋 賀


病雁の夜寒に落ちて旅寝かな

大津市本堅田に本福寺という寺がある。


浄土真宗本願寺派の寺である。

 俳聖芭蕉翁は十一世住職明式俳号千那を訪ねること3度、あるとき当寺で病に臥し、

病雁の夜寒に落ちて旅寝かな

の名句を残した。境内に真筆の句碑がある。

本福寺山門


貞享2年(1685年)、千那は『野ざらし紀行』の旅の途上で芭蕉に入門。

山門を入ると、内藤丈草の句碑があった。


水底を見て来た貌の小鴨哉

出典は『猿蓑』(去来・凡兆共編)。

榎本其角の句碑


   大津 まつもとにて

雪日や船頭どのゝ顔のいろ

出典は『五元集』

三上千那の句碑があった。


しぐれきや並びかねたるいさざぶね

(※「いさざ」=魚+少)

「いさざ」は琵琶湖で捕れる鯊(はぜ)に似た小魚。

出典は『猿蓑』(去来・凡兆共編)。

昭和57年(1982年)4月、千那顕彰会建立。

青空が俄に曇り、時雨が来た。

芭蕉の句碑があった。


からさきの松は花よりおぼろにて

出典は『野ざらし紀行』

貞亨2年(1685年)、芭蕉42歳の句。

本福寺の裏庭に「旅寝塚」があった。


千 那 翁
芭 蕉 翁
角 上 翁

 寛保3年(1743年)、芭蕉五十回忌に十二世住職角上が「病雁」の短冊を埋めて建立。 角上は千那の養嗣三上明因。

『諸国翁墳記』に「旅寝塚 江州堅田本福寺アリ 角上建」とある。

角上の句

   寺前の興もとりあへず

 少年
小僧ども庭に出けり罌粟坊主
   角上



 千那子息
山寺は山椒くさき火たつかな
   角上


 堅田
剃り嫌ひいかにやいかにや夏けしき
   角上


「旅寝塚」の奥に芭蕉の句碑があった。


病雁の夜寒に落ちて旅寝かな

出典は『猿蓑』去来・凡兆共編)。

元禄3年(1689年)、芭蕉45歳の句。

 昭和38年(1963年)、芭蕉二百七十回忌に本福寺二十世三上明暢建立。

芭蕉の真筆である。

山口誓子は本福寺に芭蕉の句碑を訪ねた。

 本福寺は満月寺から引き返して右へ曲った奥にある。いつもは見過ごしていた寺であるが、今日は芭蕉の句碑を見んとて訪ねた。

 しかし句碑の所在は直ぐにはわからない。通りかかったひとが案内して呉れた。そのひとは信徒総代だった。コンクリートの本堂の裏庭は藪であったが、大きな山茶花の下に三翁塚(芭蕉翁、千那翁、角上翁)、すこし離れて芭蕉の

   病雁の夜寒に落て旅寝哉

の句碑が立っている。ずんぐりした自然石。

   (中略)

 昭和三十八年、第二十世の住職がこの句碑を建てた。ちなみに、千那は第十一世、角上は第十二世。


浮御堂へ。

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