芭蕉の句碑


送られつをくりつはては木曽の秋

塩尻市木曽平沢に塩尻市楢川支所がある。


楢川支所に「芭蕉翁」と書かれた碑があった。

右側面に芭蕉の句が刻まれている。


送られつをくりつはては木曽の秋

出典は『阿羅野』(荷兮編)。

 貞亨5年(1688年)8月11日、芭蕉は姥捨の月を見ようと越人を伴い美濃の国を発ち、木曽路を行く。

『更科紀行』は「別れつ果は」。

宝暦11年(1761年)、建立。

寛政4年(1792年)10月28日、栗庵似鳩は翁塚のことを書いている。

平沢の町端諏訪の社の山根に翁塚あり。此前の茶店に初女といふ者俳諧ニ志有て、累年の往来の節ハ足を休む家と心得て立寄りしか、此人ハその商を止てかくれたる由、門前なから一宴して出るに、隣の店より立寄と声かけぬ。是も一宴の名染故立寄侍るに、かの翁塚の句帖を出す。則筆を染遺ス中酒出しぬ。無拠三盃を傾く。大ニ酩酊して平沢宿に至りて○万屋十右衛門との眉山亭を訪ふニ、今霄ハ家主をせんとなり。幸に一泊す。


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