芭蕉の句碑
ひと尾根はしぐるる雲か不二の雪
熱海温泉から熱函道路で伊豆半島を横断し、三島で国道1号に入る。
国道1号で富士へ。
富士市富士町に平垣公園という小さな公園がある。
平垣公園の入口に芭蕉の句碑があった。
ひと尾根はしぐるる雲か不二の雪
松尾芭蕉句碑
この句は貞享4年(1687年)、俳人芭蕉が東海道を旅した時、柚木の茶屋でよんだものと伝え、文化14年(1817年)に丹波の俳人野楊が碑とした。裏には「しぐるるや失もせず山の月」の野楊の句が刻まれている。
富士市教育委員会
出典は『泊船集』。
平垣公園の中に『野ざらし紀行』の俳文碑があった。
野ざらし紀行
冨士川のほとりを行に三つ計なる
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捨子の哀けに泣有この川の
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早瀬にかけてうき世の波を
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しのくにたへす露計の命待
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まと捨置けむ小萩かもとの秋
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の風こよひやちるらんあすやしを
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れんと袂より喰物をなけて
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とほるに
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猿を聞人捨子に秋の風いかに
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いかにそや汝ちゝに惡まれたるか
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母にうとまれたるかちゝは汝を
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惡にあらし母は汝をうとむ
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にあらし唯これ天にして
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汝の性のつたなきをなけ
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昭和49年(1974年)4月14日、富士ロータリークラブ創立10周年記念に建立。
書体を変えて、もうひとつ『野ざらし紀行』の俳文碑があった。
猿を聞人捨子に秋の風いかに
「巴猿三叫 暁霑二行人之裳一」「三たひてふ聲たにきけは、よ所人の物おもひまさるねをのミそなく」「さらぬたに老てハものゝかなしきに夕のましら聲なきかせそ」かゝる詩哥のほそミをたとりて、「捨子の秋風になく」と「暁の猿」と断腸いつれかふかゝらむと也。又此句を或集に「さるをきて捨子に秋の風いかに」と出せり。句意分明ならねは、嵐雪袖日記をもつて證句とす
由比へ。
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