芭蕉の句碑


いささらハ雪見にころふ所まて

国道148号岩岳入口から岩岳に向かって100m程行くと、伝行山下堂がある。


伝行山下堂・尾花道(白馬村新田)

 新田区は江戸時代初期から塩の道千国街道中南の飯森宿と北の千国宿の中間にあって、海陸物資交易の荷継場として栄えてきた。

 ここ伝行山下堂には庚申殿・秋葉様・稲荷様・庚申塔・芭蕉句碑などがあり、地域の歴史、先人の生活史や信仰史を物語るものが集中している。庚申講は干支の庚申に当る日に行われる代表的な庶民信仰で、その行事は今日なお継続されている。庚申殿のかたわらにある枝垂桜は、植樹者に因んで徹然桜の名で知られ、美しい花を咲かせる。

 火之迦具土神を祭神とする秋葉様は、遠州秋葉山の信仰で火伏せの神として崇啓されてきた。

 新田区出身の事業家、横沢本衛氏の造営になる187段の石段を登った稲荷社からは、白馬三山・唐松・大黒・五竜・鹿島槍とつづく北アルプスと眼下に四ヶ庄平が一望される。ここから塩の道・観音原石仏公苑・霧降宮諏訪神社・おかる穴・岩岳自然歩道を巡る尾花道を歩くのも楽しい。

芭蕉塔


いささらハ雪見にころふ所まて

出典は『花摘』(其角著)。

 貞亨4年(1687年)、『笈の小文』の旅の途中、名古屋の風月堂で詠まれた句である。芭蕉44歳の時のこと。

節黒仙翁(ふしぐろせんのう)が咲いていた。


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