「芭蕉句碑」


はかれたる身にはきぬたのひゝき哉

日野町別所の国道307号沿いにレストラン「芭蕉」がある。


レストラン「芭蕉」の先に忠魂碑がある。

忠魂碑の手前に「芭蕉」の句碑があった。


はかれたる身にはきぬたのひゝき哉

出典は『芭蕉盥』

   擣 衣

    あふみ路を通り侍る比、日野山の
    ほとりにて、胡麻といふものに上
    の絹とられて

剥れたる身には砧のひゞきかな
 翁

天明7年(1787年)、『半化坊発句集』刊。

   神無月廿日あまり、故翁の湖東行
   脚の跡を慕ひ、日野山の辺を過る
   に、剥れたる身には砧の響哉 と
   聞へ(え)しも今はむかしにて、目出
   度御代のしるしなるにや。山も岡と
   なり、林も畑とかはりて、しら波
   の煩ひもなき折から、紫英亭にい
   たりて、暫く時雨をはらす。

剥れざる身に冬しらぬ舎り哉

天明8年(1788年)冬、建立。

俳諧一葉集』は「寛文延寶天和年中」とするが、存疑句である。

以前はレストラン「芭蕉」の前にあったが、道路の拡張で現在地に移転した。

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