芭蕉の句碑新 潟


稻妻にさとらぬ人のたふとさよ

魚沼市堀之内の栃原街道沿いに願念寺という寺がある。


浄土真宗本願寺派の寺である。

願念寺鐘楼


願念寺鐘楼門再建委員会の「栃原街道人物往来史」があった。

 享和3年(1803年)9月24日、伊能忠敬は江戸への帰路、三国街道を測量。この日、郷元家で昼食をとリ栃原街道を測る。

 慶応4年(1868年)閏4月26日、尾張・薩摩等の政府軍、栃原峠を越え願念寺・普賢寺に宿泊。翌日、長州軍と共に小出島にて会津軍と戦う。

 明治18年(1885)9月8日、清水街道完成。栃原街道は約250年間の歴史を閉じる。

願念寺に「翁 塚」があった。


碑陰に芭蕉の句が刻まれている。

稻妻にさとらぬ人のたふとさよ

芭蕉の句の出典は『己が光』(車庸編)。

元禄3年(1690年)、芭蕉47歳の句。

『蕉翁句集』(土芳編)は「元禄四未ノとし」とする。

寛政5年(1793年)10月、芭蕉百年忌に巨鳰坊建立。

『諸国翁墳記』に「翁 塚 越后堀之内 巨鳰坊建」とある。

巨鳰坊は堀之内の縮問屋宮九左衛門。美濃派の俳人徐々坊の兄。

享和3年(1803年)、巨鳰坊七回忌追善集『終のたひね』(徐々坊編)。

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