芭蕉の句碑山 口


春立つてまた九日の野山かな

宇部市船木の旧山陽道沿いに大木森住吉宮がある。


文明12年(1480年)9月、宗祇は筑紫の旅の途中で船木を通る。

 此舟木と言へるは、神功皇后御船を作り給ひけむ所となん。又「秋は過れどこがれざる覧」と言へる船木の山の紅葉は此頃にや。発句沙汰すべき由侍れば、

   吹きしぐる稲葉の雲の山おろし

旧友の好は中々にて、唯所の様を思ひ寄れり。


そり橋


大木森住吉宮

 ご祭神は、住吉大明神(表筒男命・中筒男命・底筒男命)です。海上航路の安全を守護する神で、この地の里人は、古来ひとりも海難にであった者がいないと伝えられています。

 文化11年(1814年)建立の社前東わきにある「大木森住吉社記」の銘文に、創建の由来や小祠を改築したことなどが、語られています。

 嘉永5年(1852年)8月の1650年式年祭で、社殿境内の新造成がされ、玉垣やそり橋、高灯ろう(住吉社の特色で海上安全の灯台を擬製)などができました。神功皇后が軍船48艘を造るために切られたという境内にあるクスノキ古樹の巨木伝説から、「船木村」「楠町」などの地名発祥の地とされています。一の鳥居の東わきに、明治中期ころ造立の芭蕉の俳句塚があり、「春立ってまだ九日の野山哉」と刻んであります。

宇部市教育委員会

芭蕉の俳句塚


春立つてまた九日の野山かな

出典は『笈の小文』

貞亨5年(1687年)1月13日、伊賀上野の小川風麦亭で詠まれた句。

社 殿


 明和8年(1771年)、蝶夢は太宰府に向かう途中で船木に宿をとる。

小郡山中を過て船木に宿をさだむ。この船木といへるは、神功皇后三韓を責(攻)給んとて、御船を作らせ給し所となん。


 文化2年(1805年)10月18日、大田南畝は長崎から江戸に向かう途中で船木を通る。

此船木といへるは、神功皇后御船を作り給ひける所となん。又秋はすぐれどこがれざるらんといへる船木の山の紅葉は、此ころにやと筑紫紀行には見へ侍り宗祇筑紫紀行あり尾崎氏道の群書一覧の説には宗長西國紀行一巻文明十二年周防の山口へ下る道の記也宗祇の作とするは誤也といへり後拾遺秋下「いかなれば舟木の山の紅葉ばの秋はすくれとこかれさるらん」通俊卿の歌也


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