芭蕉の句碑山 梨


草臥れて宿かるころやふちの花

北野三社大神から猿橋町藤崎に向かう。

道端に二輪草が咲いていた。


二輪草は雑草なのである。

蝮草(まむしぐさ)があった。


猿橋町藤崎といっても広い。

しばらく歩くと、藤崎の民家に芭蕉の句碑があった。


芭蕉の句碑


草臥れて宿かるころやふちの花

貞亨5年(1688年)4月11日、『笈の小文』の道中大和八木で詠まれた句。

 昭和45年(1970年)11月3日、芭蕉が当家に泊まったのを記念し、祖父の遺志を継いで建立。

 此の碑は芭蕉翁が当家に宿りしを記念し曾祖父義利号魚水が建立せんとして碑文の刻のみ未完のまま急逝す。

 尚碑は当時発行の江州粟津義仲寺板に所載するもの也。

 今此処に祖の意を継ぎ建之。義盛嫡男巌記。

   昭和庚戌四十五年文化の日

元藤崎氏 藤本義盛幹尾

 文政7年(1824年)と翌8年の2回にわたり、魚水は義仲寺を訪れ『諸国翁墳記』に洩れていた藤本家の芭蕉句碑を付け加えるよう願い出た。

 『諸国翁墳記』に「翁 塚 甲州都留郡藤崎村 藤崎氏構之内有 柳斉 漣燕 魚水」とある。

当時義仲寺の無名庵主は十世釈閑齋。

 閑齋は吉備中山の人。文化8年(1811年)、俳諧道中双六』刊。文政3年(1820年)ころ、義仲寺に入った。

藤崎久保へ。

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