悲劇の名将と世に謡われた源九郎判官義経は兄頼朝に追われ文治5年(1189年)4月、平泉の高舘において31才の若さで自害したといわれる。短く華麗だったその生涯を想い後世の人々は、“義経は、その1年前に密かに平泉を脱し、北をめざして旅に出た”という伝説を創りあげたのであろう。世にいう「判官びいき」である。 当地方に伝えられている伝説によれば、平泉にいた義経に命令された家来の板橋長治と喜三太が義経の居所をこしらえようと柴を回し木を植え、みだりに人が入らないようにした地と伝えられており、昔は長治山と呼んでいたと言われている。それが今では長者山と呼んでいる。
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