芭蕉の句碑
うらやまし浮世の北の山櫻
JR千葉駅東口で下車、駅前大通をまっすぐに進む。
富士見東電前で左に行くと、国道126号に面して千葉神社(HP)があった。
千葉神社尊星殿
千葉神社本殿
御祭神は北辰妙見尊星王。
通称「妙見さま」だそうだが、私は知らなかった。
北辰妙見尊星王は天之御中主(あめのみなかぬし)大神で、天之御中主(あめのみなかぬし)大神は『古事記』で最初に登場する神さま。
源頼朝が千葉神社に参詣し、自筆の願文、太刀、武具などを奉納したそうだが、はっきりしたことは分からない。
永正6年(1509年)、柴屋軒宗長は千葉妙見の祭礼に訪れている。
十四日五日は、千葉の崇神妙見の祭礼とて、三百疋の早馬を 物見なり、
十六日は延年の猿楽、夜に入りて事果てぬ。
千葉神社境内に千葉天神があった。
寿永元年(1182)9月25日、勧請されたそうだ。
千葉神社の旧社殿である。
千葉神社境内に芭蕉と完來の句碑があった。
うらやまし浮世の北の山櫻
| 芭蕉翁
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海はれて動かぬ星や秋の空
| 完來
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元禄5年(1692年)1月16日、金沢の門人句空に贈った句。
『蕉翁句集』(土芳編)は「元禄七戌ノとし」とするが、誤り。
「浮世の北」は金沢、「山桜」は句空。
『北の山』(句空編)巻頭に収録。
うらやましうき世の北の山桜
| 翁
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雪消えしまふ細ね大根
| 句空
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雪中庵完来は雪中庵蓼太の門人で、彼の養子となり、天明7年(1787年)に四世雪中庵号と嵐雪伝来の点印とを継承した。
ちなみに雪中庵一世は服部嵐雪、二世は櫻井吏登、三世が大島蓼太、四世が大島完來である。
文政元年(1818年)9月、句碑建立。五世雪中庵對山書。
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