芭蕉の句碑


西行能菴もあらん花乃庭

いわき市平字古鍛冶町に菩提院という寺がある。


菩提院


浄土宗の寺である。

本堂の手前左手に芭蕉の句碑があった。


   露沾公にて

西行能菴もあらん花乃庭

 この句は俳聖松尾芭蕉が44歳の貞亨4年(1687年)9月、江戸六本木の内藤露沾公の屋敷で、郷里伊賀上野へ旅立つ送別の宴が催された席で、露沾公の庭を称賛して詠じた発句である。2年後の元禄2年(1689年) 3月に「奥の細道」の行脚へ出た。

 発句は元禄11年刊行の『泊船集』に収録されている。

 句碑は当院が菩提院町(15町目)にあった時、檀徒の俳人玉井一路氏が文政5年(1822年)8月に建立したもので、裏には本人の「秋の螢今宵は見えず成りにけり」の句が刻まれている。

『芭蕉翁發句集』には「元禄六酉年」とある。

拓本があった。


 明暦元年5月1日(1655年)、露沾は磐城平藩主内藤風虎の次男として生まれる。

 天和2年(1682年)、弟に後嗣を譲って、麻布六本木に退隠。

 貞亨4年(1687年)、芭蕉が『笈の小文』の旅に出るにあたり餞別の句を贈っている。

時は冬よしのをこめん旅のつと


一路は本名清次郎。越後あたりの人。

元治元年(1864年)、没。

碑の裏に刻まれているのは辞世の句である。

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