「芭蕉句碑」


花の影硯に代る丸瓦

深谷市本郷に本郷西部集会所がある。


深谷市とはいっても、すぐ南は寄居町である。

本郷西部集会所南の三叉路に幾つかの石碑がある。


左の大きな碑が馬頭観音。

馬頭観音の隣に芭蕉の句といわれる碑があった。


花の影硯に代る丸瓦

出典は『もとの水』(重厚撰)。

 『奥の枝折』(柳條編)、『芭蕉翁句解参考』(月院社何丸)にも収録されているが、存疑の句である。

「馬場跡の句碑」といわれるようだが、馬場は跡形もない。

古い文献では「本郷土観音の句碑」とあるそうなので、土観音を探してみた。

200mほど南に土ではなく、石の観音像があった。


昔は、お堂があったようだ。

 弘法大師東方御巡錫の途次この地をお通りになりし時、村童土を捏ねて形造りし観音像に大師が入魂開眼なされたのが本尊であると傳えらる。爾来村人達朝夕に土観音と稱し、家業繁栄、功徳無量の観音様として信仰厚し。

 観音の縁日には奉納の草競馬が催され、大祭に華を添うこと久し。歳月は流れて昭和の農耕機械化時代に入り馬匹急速に減少し、遂には自然消滅の姿となれり。堂宇は宝形造りの茅屋なりしが、昭和20年代に入りて瓦葺となせしも、風雨に損傷さるゝこと甚し。ここに於いて関係者一同熟慮の結果お堂を解体し、様式を改め再建を図る旨檀信徒並びに関係者に傳う。

「馬場跡の句碑」とか「本郷土観音の句碑」とか、いわれたわけが分かった。

「芭蕉句碑」に戻る