芭蕉の句碑


月花の愚に針たてん寒の入

東吾妻町厚田に小泉氏宅がある。


小泉氏宅の横に芭蕉の句碑があった。


月花の愚に針たてん寒の入

出典は『薦獅子集』

元禄5年(1692年)、49歳の句。

今日は寒の入り。今まで月よ花よと風雅に興じて来たが、きびしい寒に入っるのを機会に愚かしき風雅癖に針を立てて、痼疾を全治しようの意。

日本古典文学大系『芭蕉句集』

ちょっと難しい句である。この句の碑は初めて見る。

碑の裏に「太暁・鶴声・里仙」の名が刻まれている。

小泉氏宅前の高台に小泉家の墓地がある。

小泉家の墓地にも芭蕉の句碑があった。


花本大明神

ものいへは唇寒しあきの風

出典は『芭蕉庵小文庫』(史邦編)。

貞亨元年から元禄年間の句。

『蕉翁句集』(土芳編)は「元禄四未ノとし」とする。

 天保14年(1843年)、田川鳳郎は芭蕉百五十回忌に二条家に請願し、芭蕉に「花本大明神」の号が贈られた。

 天保15年(1844年)、高崎市八幡町の八幡宮神官矢口一彡は芭蕉の句碑を建立。田川鳳朗筆。

天保15年12月2日、弘化に改元。

弘化2年(1845年)11月28日、田川鳳郎は84歳で没。

嘉永元年(1848年)、雲泉亭東雲建立。花本左宗匠鳳朗書。

2基ともに『はせをつか』(楓幻亜編)に収録されている。

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