芭蕉の句碑


春雨の木下につとふ雫かな

松本市浅間温泉に東泉部薬師堂がある。


東泉部薬師堂


薬師堂の右手奥に芭蕉の句碑があった。


春雨の木下につとふ雫かな

出典は俳諧一葉集』

貞亨5年(1688年)、『笈の小文』の旅で詠まれた句。

 『笈の小文』には「清水哉」、

 『泊船集』『芭蕉翁發句集』(安永3年刊)『風羅袖日記』には「木下にかゝる」、

 『芭蕉句鑑』には「春雨の木下につたふ苔清水」とある。

芭蕉句碑

春雨の木下につとふ雫かな   はせを

 碑陰に天保11年(1840年)義仲寺現住閑亭謹書 庚子孟春日 百瀬尚司言樹建之 浅間三浦仁佐郎之寄贈 大正6年5月真観寺ヨリ移ス とある元禄元年(1688年)作の句

松に影のこして入ぬ春の月   蔵六

 右の側面に刻む

 百瀬尚司は松本の町人、蔵六は下波田村の俳人。

平成12年3月

本郷地区景観整備委員会

芭蕉の句碑の手前に老鼠堂機一の句碑があった。


咲いてみせ散て見せたるさくらかな

老鼠堂機一は老鼠堂永機の門人。

老鼠堂機一句碑

咲いてみせ散て見せたるさくらかな   老鼠堂機一

 碑陰に于時大正10年9月建之 その他其角一門の発起人6人の俳人名を刻む

 この句は近くにある保存木しだれ桜の花を詠んだ句で、明治33年門人の立机祝に来た機一は江戸神田生まれ、俳諧の大家で八世其角堂となる。昭和8年78歳で没する。

平成12年3月

本郷地区景観整備委員会

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