芭蕉の句碑


人聲やこの道かへる秋の暮

妙高市下町の北郊街道沿いに東本願寺新井別院がある。


新井別院本堂


貞享2年(1685年)本願寺第十六代一如上人により願生寺跡を掛所に充て、上信越地方末寺を管理せしめたのが新井別院の濫觴である。

明治28年(1895年)、再建。

真宗大谷派の寺である。

本堂の左手に芭蕉の句碑があった。


人聲やこの道かへる秋の暮

「この道かへる」にあたる部分が剥落している。

出典は『笈日記』(難波部)。

元禄7年(1694年)9月26日、清水の茶屋浮瀬亭に遊吟して詠んだ句。

廿六日は清水の茶店に遊吟して泥足が集の俳諧あり。連衆十二人。

人声や此道かへる秋のくれ

此道や行人なしに穐の暮

此二句の間いづれをかと申されしに、この道や行ひとなしにと独歩したる所、誰かその後にしたがひ候半とて、そこに所思といふ題をつけて、半哥仙侍り。爰にしるさず。

嘉永6年(1853年)、北条村の庄屋東条七郎右衛門吉斉建立。

日吉神社の芭蕉句碑建立記念集『梅供養』にも北条村の吉斉の名が見える。

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