翁 塚
総持寺〜芭蕉翁之塔〜
あわら市花乃杜に総持寺という寺がある。
総持寺の境内に雨夜塚があった。
芭蕉翁之塔
雨夜塚 町指定史跡
当寺の境内にある雨夜塚は、今から約230余年前の寛延2年(1749年)9月に、金津の俳人坂野我六が芭蕉翁の遺徳を慕って、美濃(岐阜県)の田中五竹坊が越後行脚の折に建てたものである。
俳聖芭蕉が「奥の細道」俳句行脚の途すがら、吉崎から汐越の松をたずねて金津へ着いたのは、元禄2年(1689年)8月10日であった。
折しも俄か雨に逢って、総持寺の門前で雨宿りをした。同志が集って旅情を慰めたが、句会を開く間もなく晴れ間を待って松岡へと向かった。
雨夜塚の碑銘は僧曇秀の作で、碑の左側面に次の碑文がある。
「野分して盥に雨を聞く夜かな」とは故翁の遺吟なるが、坂野氏我六のぬし風雅の冥慮を仰がんと、此碑下に埋みとゞめて雨夜塚と尊むなるへし
その道も潤ふ秋や雨夜塚 五竹坊
惠みは広き野に草の色 我 六
庭園は閑雅で美濃以哉老師の笠塔をはじめ
金津姫川吟社第三代二逐坊の
月の秋や心にかゝる雲もなし
など16基の句碑があり、阿部精の壽碑もある。雨夜塚は、これまでいくたびか移転されてきたが、近くは昭和57年10月に正端寺境内からここに移された。
金津町教育委員会
寛延2年(1749年)、幾暁は金津を訪れている。