夏草やつはものともか夢の跡 右側面 此礼はたれにいふべき清水哉 左側面 天明六丙午歳五月 |
この碑を建てた松尾百遊は、本名を瀧右衛門といゝ、雪ノ下に住んで旅亭「吾妻屋」を営み、鶴岡八幡宮の別当寺院の一つである等覚院の目代をつとめ、また鎌倉絵図なども出していた。 「此礼は……」の俳句作者買明は、江戸神田和泉町に住んでいた俳人で、別号を独歩庵ともいった。 芭蕉のこの俳句は、『奥の細道』の中の元禄2年(1769年)5月、平泉の中尊寺に詣でた時の作で、鎌倉とは直接関係はないが、この地が昔刑場跡であったことにちなみ、この句を選んで建てたものである。
鎌倉市教育委員会 鎌 倉 文 学 館 |
□両は鵜に呑まれたる蛍かな |