芭蕉の句碑三 重


春なれや名もなき山の薄霞

伊賀市長田の三軒家に芭蕉の句碑があるというので、探してみた。


「旧大和街道」沿いに芭蕉の句碑があった。


   奈良に出る道のほど

春なれや名もなき山の薄霞

出典は土芳稿『野ざらし紀行』

 貞享2年(1685年)芭蕉42歳の作。季語「霞」で春。2月中旬、『野ざらし紀行』の旅で帰郷していた芭蕉が、伊賀上野から奈良に至る山々の情景を詠んだ途中吟。下五を「朝がすみ」とする初案は『野ざらし紀行』初稿本などに見え、「奈良に出る道の程と前書する。この句形を採る古俳書類が多いが、後に推敲し「薄霞」の句形で『野ざらし紀行』(濁子絵巻本)等に出典する。「春なれや」には、「春だなあ」という詠嘆の意が込められる。歌人たちは、大和の天の香具山・佐保山など歌枕である名山の霞に春の到来を詠んできた。そうした古典の伝統を念頭に置きながら、それを打ち返し、「名もなき山の薄霞」に眼をとめたところに、芭蕉俳諧の新しみがある。本歌をふまえ、「薄霞」に推敲することにより、余寒の中にも浅春の季節感が表現された。

 句意は、「ああ、いよいよ春が来たのだなあ。いつもなら見過ごしてしまうような名もない山々にも、うっすら薄霞がたなびいていることよ。」

くれは水辺公園に下五を「朝がすみ」とする句碑がある。

昭和58年(1983年)、建立。

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