芭蕉の句碑埼 玉


稲津ま也闇のかた行五位の聲

熊谷市妻沼に聖天山歓喜院(HP)がある。


歓喜院本殿


平成15年から平成23年にかけて本殿保存修理工事があった。

本殿の裏に芭蕉の句碑と「雉子塚の碑」がある。

これまで工事のため、見られなかった。

右が芭蕉の句碑


稲津ま也闇のかた行五位の聲

出典は『續猿蓑』(沾圃編)。

○稲妻や闇の方行五位の声

此句初は、宵やミくらし五位の声と有。後直る。


元禄7年(1694年)の句。

五位は五位鷺のこと。

 『芭蕉翁全傳』(川口竹人)に「文月の頃、猿雖宅に土芳と二人稲妻の題にて、」とある。

○此句ハ文月ノ頃、雖子が方ニ土芳ト一夜カリ寐セラレテ、稲妻の題ヲ置、寐入ル迄ニ句ヲセヨトアリシ時ノ吟也。土芳モ、いなづまもどる雲のはし言句アリ。


文化9年(1812年)7月、五翁・角浪・可良久・五渡・五楼建立。

五翁は初代五渡。妻沼の人。五渡は初代五渡の子理兵衛。

五翁の句

雪ひとひふたひは寒く覚けり


角浪の句

撫子や川原千鳥の走り啼


ともし火に雨降ことく桜ちる


可良久は幡羅郡善ヶ島村(現:熊谷市)の人。羽鳥又左衛門。

大田蜀山人筆。

碑陰に巣兆の撰文がある。

むさしの國長井庄聖[天宮に]建る芭蕉翁稻妻の句、この石ふみや、太田うし南畝子の活筆を需て書しむる處なり。たゝし、この句この地に援あるにあ[らす]。さきに仝郷人五翁・角浪なるもの此丘に登りて、凉秋月夜を玩ひ、二子頻に實景に感る事あり。于時、此石ふみを起立せん事を[めく]らすと云。曾て世間古翁の句を揚て碑に建もの、或は東郊に詠を以て西岳に營み、或は北海に吟るを移して南湖[にこ]れを建つ。略その景情にそむくもの少からす。さはあれ、わけ行野山に旅心をなくさみ、花なき里に郷童を和悦せん媒となす。[しか]しなから、これ風流の一盤にとゝまる處也。かまえて僻事なとゝいうへきにあらす。况や實景に對して古人の作妙を賞るをや。こゝにまた詞[兄]都久裳可良久あり。同交五渡・五楼なんと倶に志願を助け、ちからをあわせて、ついに此碑を彫る。いはゆる郷童の和悦これなりけり。斯て祝す、古樟・老杉この石ふみとゝもに、なかく法林の青苔を冠らん事を。

   [文]化九年七月上弦

 東都秋香庵巣兆識

 『諸国翁墳記』に「武州長井庄妻沼里聖天山建 碑面高吟大田□或活華 裏秋香菴巣兆文アリ 願主 五翁・角沼・都久裳・五渡・五橋・可良久」とある。

左が「雉子塚の碑」


聲ほとに威儀もつくらぬ雉子かな
   梅室

きしの声此春はたゝに聞き捨す
   白雄

雉子の聲おのかすむ野に餘りけり
   鳥醉

青空やほのほのと啼く子規
   みち彦

鳥居出るをしさや杉に秋の月
   巣兆

旅なれやよき社にて秋の月
   葛三

この神の錦ニならふ紅葉かな
   蓼太

他に五楼・角浪・五翁・五渡の句も刻まれていたが、よく読めなかった。

慶応4年(1868年)春、有磯庵三世五渡建立。

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