芭蕉ゆかりの地


行徳街道〜常夜燈

市川市本行徳に常夜灯がある。


常夜灯


 貞亨4年(1687年)8月14日、芭蕉は曽良・宗波を伴い鹿島神宮に向け江戸を発つ。行徳で舟を上がり、行徳街道を歩いて八幡に向かう。

 いまひとりは、僧にもあらず俗にもあらず、鳥鼠(ちょうそ)の間に名をかうぶりの、鳥なき島にも渡りぬべく、門より舟に乗りて、行徳といふところに至る。舟をあがれば、馬にも乗らず、細脛(ほそはぎ)の力をためさんと、徒歩よりぞ行く。


この「いまひとり」が曽良である。

 宗波は江戸深川の芭蕉庵近くに住み、芭蕉とは日常的に付き合いがあったそうだ。貞亨5年2月19日の晩、『笈の小文』の旅の途中の芭蕉を伊賀上野の生家に訪ねている。

 宝暦9年(1759年)、大島蓼太は門人眠江に誘われて鹿島詣の旅に出て、行徳に泊まる。

   行徳夜泊

低うなる時はうつゝか夜の雁   眠江


芭蕉は八幡から木下(きおろし)街道を行く。


木下街道は現在の県道59号市川印西線である。

 甲斐国より或人のえさせたるひの木もてつくれる笠を、おのおのいただきよそひて、やはた(八幡)と云里を過れば、かまかいが原と云ひろき野あり。

芭蕉は句を詠むこともなく鎌ヶ谷原を過ぎる。

大島蓼太は行徳から八幡を過ぎ鎌谷(かまがい)原を通る。

   鎌谷原

筑波から言葉わけてや草の花   蓼太

『笘の宿』

 文化2年(1805年)閏8月10日、小林一茶は布川に行く途中に鎌ヶ谷原で句を詠んでいる。

十日 晴 布川ニ入 問屋仁左衛門の祈事アリ

   鎌ヶ谷原

先の人も何も諷(うた)はぬ秋の原

『文化句帖』(文化2年閏8月)

「先の人」は芭蕉である。

布佐に着く。


日既に暮かかるほどに、利根川のほとりふさと言処につく。

夜舟を下して利根川を行き、鹿島に到着した。

月くまなくはれけるままに、夜ふねさし下して、鹿島に至る。

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