芭蕉ゆかりの地


深 川

都営新宿線森下から隅田川に向かう。


江東区芭蕉記念館(HP)がある。


江東区芭蕉記念館には芭蕉の句碑がある。



古池や蛙とび込む水の音

 予もいづれの年よりか、片雲の風にさそはれて、漂泊の思ひやまず、海浜にさすらへ、去年の秋江上(こうしょう)の破屋に蜘の古巣をはらひて、

 芭蕉は、貞享4年(1687年)10月25日に江戸を立って『笈の小文』の旅に出、鳴海、渥美半島、伊良湖崎、須磨、明石などを回っている。

江東区芭蕉記念館には「草の戸も住み替る代ぞひなの家」の句碑がある。



 住る方は人に譲り、杉風が別墅に移るに、草の戸も住替る代ぞひなの家 面八句を庵の柱に懸置。

隅田川から小名木川に入る。

芭蕉稲荷神社がある。


これが「住る方」すなわち芭蕉庵跡である。

 芭蕉没後、芭蕉庵は武家屋敷となり、幕末から明治にかけて、分からなくなってしまった。たまたま大正6年(1917年)の大津波の時、芭蕉遺愛のものとみられる石蛙が見つかったことから、この地を芭蕉庵跡と推定したそうだ。「石蛙」は芭蕉記念館に展示されている。

小名木川に万年橋がある。

冨嶽三十六景「深川万年橋下」


芭蕉庵は右側の岸辺あたりに建っていたはずである。

 葛飾北斎が生まれたのは、宝暦10年(1760年)。北斎の頃には芭蕉庵は武家屋敷になっていたわけだ。

 寛政3年(1791年)、「古池」は尼ヶ崎侯遠江守桜井大膳亮忠告の下屋敷内にあった。

古池や蛙飛こむ水の音この音の寂しみ桃青はしめて聞しを其句の音我聴他聞世を経ても普くきゝ味はふる事になむさりやその池は今予か別業の内に存してますます古池となれり


小名木川から仙台堀川を越えると、採荼庵跡がある。


これが「杉風が別墅」である。



芭蕉と一緒に座っているのは私ではない。

 杉山杉風は、正保4年(1647年)江戸日本橋小田原町に生まれた。芭蕉は1644年伊賀上野赤坂町に誕生しているから、芭蕉の3歳年下ということになる。

 杉風は、「鯉屋」の屋号で幕府御用の魚問屋を営み、芭蕉の生活を支えた。芭蕉が延宝8年(1680年)に移り住んだ第一次芭蕉庵も杉風所有の生簀(いけす)の番小屋が提供されたものである。杉風の本邸は小田原町にあったが、深川に多くの土地を所有していた。

 ところで、芭蕉が「面八句を庵の柱に」懸け置いたのは芭蕉庵だろうか、それとも採荼庵だろうか。
 芭蕉庵だとすれば、「住る方」を人に譲る時に挨拶として「面八句を庵の柱に」懸け置いたことになるが、芭蕉は「草の戸」が「ひなの家」に住替るのを見ているわけではない。
 採荼庵だとすれば、「杉風が別墅」に移ってから「草の戸」が「ひなの家」に住替るのを見て、採荼庵に「面八句を庵の柱に」懸け置いたことになる。

 『奥の細道』では元禄2年(1689年)3月27日(新暦5月16日)、ここから芭蕉は旅立った。

江東区芭蕉記念館へ。