旅のあれこれ文 学


永井荷風ゆかりの女性

白鳩銀子

本名田村智子大正九年頃折々出會ふ陸軍中將田村の□□□三女

『斷腸亭日乘』(昭和11年1月30日)

陸軍中将田村怡与造の三女。本名は田村智子(としこ)

大正7年(1918年)4月、本間雅春はロンドンに単身赴任。

大正10年(1921年)12月16日、田村智子と協議離婚。

大正9年(1920年)

清元會の歸途梅吉夫婦及田村女史と築地の野田屋に飲む。此夜中秋なれど月無し。

『斷腸亭日乘』(9月26日)

大正10年(1921年)

夜清元會に徃く。會塲にて田村百合子に逢ふ。洋畫を有嶋生馬氏に学び、また清元を好みて梅吉の門弟となれり。去年の夏帝國劇塲にて旧作三柏葉樹頭夜嵐興行中始めて相識りしなり。清元會終りて後雑沓の巷を歩み、有楽軒に入りて倶に茶を喫す。

『斷腸亭日乘』(9月3日)

秋の空薄く曇りて見るもの夢の如し。午後百合子訪ひ來りしかば、相携へて風月堂に徃き晩餐をなし、堀割づたひに明石町の海岸を歩む。佃島の夜景銅版画の趣あり。石垣の上にハンケチを敷き手を把り肩を接して語る。冷露雨の如く忽にして衣襟の潤ふを知る。百合子の胸中問はざるも之を察するに難からず。落花流水の趣あり。余は唯後難を慮りて悠々として迫まらず。再び手を把つて水邊を歩み、烏森停車塲に至りて別れたり。百合子は鶴見の旅亭華山荘に寓する由なり。

『斷腸亭日乘』(9月11日)

百合子を見むとて鶴見に徃き華山莊を訪ふ。不在なり。折から雨降り出したれば急ぎ停車場に戻り、家に歸る。

『斷腸亭日乘』(9月12日)

雨ふる。午後百合子來る。手を把つて長椅子に坐して語る。倶に出でゝ虎の門に至り、余は別れて風月堂に徃き、獨食事をなし有楽座に久米氏を訪ふ。

『斷腸亭日乘』(9月14日)

午後百合子來る。十六夜の月を觀むとて相携へて愛宕山に登る。清光水の如く品海都市齋(ママ)しく蒼然たり。芝山内の林間を歩み新橋停車塲に至りて手を分ちぬ。

『斷腸亭日乘』(9月17日)

百合子と風月堂にて晩餐を共にし、送つて停車塲に至る。獨帝國劇塲に立寄りカルメンを聽く。深更驟雨あり。

『斷腸亭日乘』(9月22日)

雨中百合子來る。吾家にて晩飯を倶にし、有樂座に徃きてオペラを聴く。ロメオジユリヱツトの曲なり。曲終りて劇場を出でむとするや、風雨甚しく自働車人力車共に出払ひて來らず。幸にして平岡画伯と廊下にて出遇ひ、其自働車に乗りて一まづ花月に徃く。久米松山の二氏も共に徃く。画伯越前の蟹を料理せしめ酒を暖めて語る。雨いよいよ甚しく遂に歸ること能はず。余と百合子と各室を異にして一宿することゝなる。久米松山の二氏は家近きを以て歩みて歸る。余一睡して後厠に徃かむとて廊下に出で、過つて百合子の臥したる室の襖を開くに、百合子は褥中に在りて新聞をよみ居たり。家人は眠りの最中にて樓内寂として音なし。この後の事はこゝに記しがたし。

『斷腸亭日乘』(10月9日)

朝十時頃花月を出で、百合子の歸るを送りて烏森の停車場に至り、再会を約して麻布の家に帰る。夜玄文社合評会に徃く。

『斷腸亭日乘』(10月10日)

百合子來りて病を問はる。

『斷腸亭日乘』(10月16日)

百合子草花一鉢を携へて來る。夕方松莚子より電話あり。百合子と共に風月堂に徃く。松莚子は歌舞伎座出勤中、幕間に楽屋を出で風月堂に来りて晩餐をなすなり。百合子と日比谷公園を歩み家に伴ひ歸る。百合子本名は智子と云ふ。洋画の制作には白鳩銀子の名を署す。故陸軍中将田村氏の女にて一たび人に嫁せしが離婚の後は別に一戸を搆へ好勝手なる生活をなし居れるなり。一時銀座出雲町のナシヨナルといふカツフヱーの女給となりゐたる事もあり。

『斷腸亭日乘』(10月18日)

快晴。百合子正午の頃歸去る。花壇にチユリツプの球根を栽ゆ。

『斷腸亭日乘』(10月19)

百合子來る。倶に帝国劇塲に徃き池田大伍君の傑作名月八幡祭を看る。歸途雨ふり出したれば百合子余が家に歸りて宿す。

『斷腸亭日乘』(10月20日)

百合子と白木屋に赴き、陳列の洋画を見る。歸途また雨。百合子又余の家に宿す。

『斷腸亭日乘』(10月21日)

午後百合子と相携へて氷川社境内の黄葉を賞す。此夜百合子鶴見の旅亭に歸る。

『斷腸亭日乘』(10月22日)

午後百合子來る。倶に淺草公園に徃き千束町の私娼窟を一巡して歸る。百合子余が家に宿す。

『斷腸亭日乘』(10月23日)

風雨。百合子終日吾家に在り。

『斷腸亭日乘』(10月24日)

百合子去る。曇りて風なく新寒窓紗を侵す。二月頃の雪空に似たり。

『斷腸亭日乘』(10月25日)

百合子來る。風月堂にて晩晩餐をなし、有楽座に立寄り相携へて家に歸らむとする時、街上号號売の奔走するを見る。

『斷腸亭日乘』(11月5日)

晴。風なし。百合子酉の市を見たしといふ。唖々子を誘ひ三人自働車にて北廓に徃き、京町相萬樓に登り一酌して千束町を歩む。たまたま猿之助が家の門前を過ぐ。毎年酉の市の夜は、猿之助の家にては酒肴を設けて來客を待つなり。立寄りて一酌し、淺草公園を歩み、自働車にて歸宅す。この夜明星晩餐會ありしが徃かず。

『斷腸亭日乘』(11月6日)

朝。百合子歸る。

『斷腸亭日乘』(11月7日)

三越樓上素人写真展覧會開催。余も亦二葉を出す。百合子を伴ひて赴き見る。

『斷腸亭日乘』(11月30日)

暖氣前日の如し。銀座通煉瓦地五十年祭なりとて、商舗紅燈を点じ、男女絡繹たり。百合子と風月堂にて晩餐をなし、上野清水堂の觀世音に賽す。百合子毎月十八日には必参詣する由。何の故なるを知らず。この夜風暖にして公園の樹木霧につゝまれ、月また朦朧。春夜の如し。

『斷腸亭日乘』(11月30日)

寒気甚し。田村百合子葡萄の古酒一壜を贈らる。深情謝するに辞なし。端書に句を書して送る。

    葡萄酒のせん抜きく音や夜半の冬

『斷腸亭日乘』(12月24日)

午後旧稾を添刪す。夜百合子と相携へて銀座通歳晩の夜肆を見、また淺草仲店を歩む。百合子興に乗じ更に兩國より人形町の夜市を見歩くべしと云ふ。余既に昔日の意氣なく、寒夜深更の風を恐るゝのみ。百合子が平川町新居の門前にて袂を分ち、家に歸る。曉二時なり。キユイラツソオ一盞を傾け、寝に就かむとするに、窗前の修竹風聲忽淅瀝たり。窓紗を排き見れば雨にあらずして雪花飄飄たり。歸途この雪に遇ばざりしを喜び、被を擁して眠に入る。

『斷腸亭日乘』(12月31日)

大正11年(1922年)

晴れたれど風寒し。不在中百合子來る。

『斷腸亭日乘』(1月7日)

曇りて寒し。午後百合子來る。薄暮雨霰を交ゆ。

『斷腸亭日乘』(1月9日)

同雲黯澹たり。夜百合子を白河町の家に訪ふ。

『斷腸亭日乘』(1月17日)

百合子來りて病を問はる。

『斷腸亭日乘』(1月25日)

帝國劇塲初日、歸途平岡画伯田村百合子と共に自働車にて平川町なる田村女史の家に至る。余は直に歸る。

『斷腸亭日乘』(6月1日)

百合子を訪ひ貝阪の洋食店寶亭に飯し、星岡の林間を歩む、薄夜風靜にして月色夢の如く、椎の花香芬々として人を醉はしむ。

『斷腸亭日乘』(6月4日)

夜有樂座に徃く。偶然田村百合子に逢ふ。

『斷腸亭日乘』(9月24日)

大正15年(1926年)

八重次は美人なりとの噂もありしかど、越後の女なれば江戸風の意氣なるところに乏しく、白鳩銀子は今様の豐艶なる美人なりしかど、肩いかりて姿は肥大に過ぎたるを憾となせり。

『斷腸亭日乘』(1月12日)

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