旅のあれこれ文 学


大谷句佛ゆかりの地

『我は我』

昭和13年(1938年)10月15日、『我は我』刊。

   春

   父が遷化せられし時

默し居れば涙頬傳ふ春寒し

   黄檗山にて

春寒き通玄門の片開き

   宇治

夕には殘る寒さや川の音

   大原三千院

鉈捨つる藪も墾けぬ春寒き

亡き人の在ると思へし春寒き

   二月二十六日の事件ありて後の或る朝

泣ける記事多き新紙や冴え返る

   愛子をうしなはれたる村上霽月子に逢ひて

春惜しむ淋しき顔を合はせけり

   夏

   上州館林躑躅ヶ岡にて

つゝじ觀のあちこちしては廻り合ふ

   館林茂林寺にて

つゝじ時縁起坊主も雇はれて

   山中温泉にていさり火に河鹿や波の下むせびと蕉翁の
   詠みけるに

いさり火も見えで河鹿に夏の月

瀬にくだけ淵に沈みて夏の月

   加賀松任を過ぎるとて

梅雨淋し門閉じ早き千代尼堂

   湯河原に靜養せらるゝ栖鳳先生を訪ひいと健やかにお
   はしけるを悦びて

若うなり顔風薫る

   北支へ出征する人を送る

鴻毛とさゝぐる身にぞ風薫れ

   巡錫中俳行脚の碧梧桐子と柏崎に邂逅す限りなきう
   れしさを語りてやがて別れぬ

夏霞君は果てなき旅に居て

我が行かぬ方に邨ある夏野かな

   碧梧桐子が俳行脚の首途に

豆人となるまで送る夏野かな

殘雪一點の山や夏野果

   井波瑞泉寺

夏斷せん我も浪化の世ぞ戀し

   犬山城下より舟を泛べて木曾川を遡る

ほとゝぎす鳴かねど我も名古屋顔

   秋

   井波瑞泉寺にて

この寺の夜寒の灯までなつかしき

   下野國高田專修寺に詣でて

さわやかや眞佛の徳顯智の智

   箱根大涌谷

湧き立つる温泉の音淋し秋の暮

征く人の汽車に旗振る秋の暮

   伊香保見晴しに登る

上根の住むらし山氣徹す山

   宮島大杓子に題す

月無き夜も芋あり琵琶に擬せん哉

   筑紫日出の城下は母が舊里にして今其の城址に住む成
   清氏の邸に一宿しける時

この月をこゝに觀せたき母遠し

   東京震災の跡を踏みて

避難訪ふ都はづれや蟲の聲

   加賀松任聖興寺に千代尼の百五十回忌を修す

朝顔の種もこぼれよ初時雨

   石狩國能量寺に滯在中秋味の漁を觀る三句

大浪の河口に寄する野分かな

神居舟中居に在りて野分吹く

夕虹や野分の中を漁唄

   淺草別院にて

秋晴や時計聞ゆる誦經中

秋晴や我を知る友一人ある

秋晴や法座に網聲聞え來る

   大龍寺子規居士の墓に詣でて

秋晴の我が影墓碑を抱きつゝ

   宗門の前途を憂へ爲さんとしたる事反つて仇となり職
   を退く

しろしめす祖師の膝下に秋澄む日

   震災後の九月三日宮の下を立ち出で久邇若宮殿下の御
   供しつゝ徒歩にて三島に避難す

秋雨に地震(なゐふる)山の雲を踏む

斷水も一雨の秋や溪の音

秋雨や枝震ひして鳥見えず

秋雨や堂後の栗のひとり落つ

稜威にも戰死にも泣けて秋の雨

   炎天子が長子の出征に奉公は奉公親心は親心としての
   章おこせければ

征くに泣く眞尊とし秋しぐれ

   石狩層雲峡一宿

溪山皆太古の様や秋の聲

磨墨岩(するすいは)雲吹きつけて秋の聲

   石狩層雲峡

溪深く早鴨のつく秋の水

   榛名神社

岩に根を置く大杉や秋の水

   子規居士の正命日大龍寺の墓に參りて

秋袷袂に數珠をさぐりけり

   石狩層雲峡

白樺を鳴き移り飛ぶ番匠鳥

   石狩能量寺出發

石狩は鮭の魚飯に名殘あり

   冬

   子規居士の墓に詣でて

佇むや小春の樹影移るまで

   ともかくもあなたまかせの年の暮と詠みし一茶が境涯
   こそ今の我が心境なれ若しこの句なからましかば我れ
   詠みたらましものをなど思ふもをかしくて

白隱と溶け合ふ小春ごころかな

   黄檗山萬福寺

冬ざれの堂後堂あり松子落つ

   大石内藏助が舊邸

寒月や元禄の門猶存す

   加州大聖寺町全昌寺は曾良が彼の終夜秋風きくや裏の
   山の舊跡なりと

木枯を聽聴けば曾良の裏の山

   越中出町眞如院にて蓑毛塚に詣づ塚は嘗て門前に在り
   しとき

置きかへて復た時雨るゝよ蓑毛塚

   碧梧桐翁急逝

笠もいざ風雪の夜を三千里

   乙字子を悼む

霜の如き俳論の人今や亡矣

   霜月二十日洛東の金福寺に蕪村翁百五十回忌を修すと
   ありける程に參りぬ

夜半忌や尾花手折りて經に換ふ

   大石良雄の邸址唯門と庭上の池とを殘すのみ

水鳥のさみしき水をくゞりけり

   子規居士墓前

落葉風小戻りしては復た拝む

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