島崎藤村ゆかりの地

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旧島崎藤村住宅

大磯町東小磯に旧島崎藤村住宅がある。

 大磯町指定有形文化財

旧島崎藤村住宅−静の草屋−

 この住宅は小説家島崎藤村が最晩年の昭和16年2月から同18年8月、71歳で逝去するまでの2年半、静子夫人と暮らした住まいです。住宅は町屋園と呼ばれた貸別荘住宅の1軒で、関東大震災から昭和初期に建てられたものと考えられます。

 主屋は庭に面して広縁が廻る8畳の居間を中心とし、4畳半の書斎と控えの間が付く簡素な住まいで、藤村が〈静の草屋〉と称し、質素を旨とする生活に合った住まいです。未完の絶筆『東方の門』はここでしたためられ、文豪終焉の地となりました。なお離れは藤村亡き後、昭和20年静子夫人が建てたものです。

大磯町教育委員会

旧島崎藤村邸


 藤村は、明治5年(1872年)筑摩県馬籠村(現在、岐阜県中津川市)の本陣の家に生まれ、本名を春樹という。昭和16年(1941年)1月14日大磯の左義長を見に来て珍しい郷土行事であるのをよろこばれた。大磯の温暖な地をこよなく愛し、その春、大磯町東小磯のこの地に住まれ、「東方の門」の筆を起こしたのであった。藤村は「一葉舟」「夏草」などの詩集を刊行して日本近代詩史に不滅の名を刻み、他に文明批評随筆、旅行児童文学など数多くを残している。昭和18年(1943年)8月21日、静子夫人が「東方の門」の原稿を朗読中頭痛を訴え急に倒れた。8月22日午前0時35分、「涼しい風だね」という言葉を残して木曽の生んだ大文豪は行年71才で永眠され、本人の希望により大磯地福寺に葬られた。

内 部


東方の門書きさして死にたまふみ心思(も)へば泣かれぬるかな

『玄 冬』

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