島崎藤村ゆかりの地
indexにもどる

泰明小学校A

泰明小学校の教頭先生に許可を得て、「泰明資料室」を見せていただいた。

泰明小学校の校舎は昭和4年にできたもの。


 それまでの木造モルタル校舎は大正12年関東大震災で全焼した。今の校舎も、空襲で建物は残ったが、内部は焼けてしまったようだ。震災と戦災で貴重な資料が失われてしまった。だから、島崎藤村が泰明小学校を卒業した年も明治17年か19年か、はっきりしない。

 北村透谷が泰明小学校を卒業したのは明治15年。卒業式の時は「空気及び水の組成」という講演をして、「明治日報」という新聞にのり、「当代の奇童」といわれたそうだ。

藤村の「春」には青木(モデルは透谷)の手紙に次のように出てくる。

 演壇に上りて一演説を試みたる所、意外の好評にて、其座にありし某新聞記者の如きは、その雑報欄内に生を称して奇童なりといえり。

 そのことは藤村も知っていたはずだ。藤村は「少年時代」という文の中で、「小学時代には知らなかった」と書いている。

 藤村は明治14年9月、9歳の時に上京し、姉の嫁ぎ先の高瀬家から泰明小学校に通った。姉夫婦は明治16年に帰郷したが、藤村は同郷の吉村という家に移り、泰明小学校を卒業した。藤村の「千曲川のスケッチ」は「敬愛する吉村さん――樹(しげる)さん――」で始まる。

当時は赤煉瓦づくりの校舎だった。

藤村は昭和12年6月泰明小学校60周年記念式典に出席している。

泰明小学校の玄関に藤村自筆の「千曲川旅情のうた」がある。


 何時、何処で書いた物か、分からないのは残念だ。藤村自筆の物ではあるが、コピーらしい。

島崎藤村ゆかりの地に戻る