島崎藤村ゆかりの地

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『伊豆の旅』

〜湯ヶ島温泉「眠雲閣落合楼」〜

明治42年(1909年)、島崎藤村は修善寺温泉から馬車で湯ヶ島温泉へ。

「落合楼」に泊まる。

眠雲閣落合楼」


   到頭湯が島に泊ることに成つた。日暮に近い頃、吾儕(われわれ)は散歩に出た。門を出る時、私は宿の内儀さんに逢つた。「此邊には山芋(やまのいも)は有りませんかね。」と私は内儀さんに尋ねて見た。 「ハイ、見にやりませう。生憎只今は何物(なんに)も御座ません時でして――野菜も御座ませんし、河魚も捕れませんし。」と内儀さんは氣の毒さうに言ふ。 「芋汁(とろゝ)が出來るなら御馳走して呉れませんか。」

結局「芋汁(とろゝ)は出來なかつた。」

 吾儕(われわれ)の爲に酒を買ひに行つた子供は、丁度吾儕が散歩して歸つた頃、谷の上の方から降りて來た。

子供が酒を買いに行ったのは「落合楼」の前にある「天城屋」に違いない。

 夕方から村の人は温泉に集まつた。この人達はタヾで入りに來るといふ。 夕飯前に吾儕が温まりに行くと、湯槽の周圍(まはり)には大人や子供が居て、多少吾儕に遠慮する氣味だつた。 吾儕(われわれ)は寧ろ斯の山家の人達と一緒に入浴するのを樂んだ。不相變(あひかはらず)、湯は温かつた。容易に出ることが出來なかつた。吾儕の眼には種々(いろいろ)なものが映つた――激しく勞働する手、荒い茶色の髮、僅かにふくらんだばかりの處女(をとめ)らしい乳房、腫物の出來た痛さうな男の口唇……

おおらかである。

翌日、馬車で天城峠を越えた。

 川端康成は大正7年(1918年)10月30日から11月初旬にかけて初めて伊豆旅行をした。その9年前のことである。ちなみに与謝野晶子が天城峠を越えたのは大正12年(1923年)元日の夜のこと。

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