旅のあれこれ〜文 学
永井荷風ゆかりの女性
大竹とみ
大正十四年暮より翌年七月迄江戸見坂下に圍ひ置きたる私娼
『斷腸亭日乘』(昭和11年1月30日) |
夜初更を過ぎし頃、忽然門扉を敲くものあり。出でゝ見るに、過日銀座にて偶然見たりし櫻川町の女にて、今宵は流行の洋裝をなしたり。女子紅粉を施し夜竊に獨居の人を訪ふ。其意問はずして明なり。爐邊に導き葡萄酒を暖めキュイラツソオを加味して飲む。陶然醉を催し樂しみ窮りなし。醉中忽然として佛蘭西漫遊のむかしを想出したるは、葡萄酒の故にあらず、洋裝の女子其衣を脱して椅子の上に架け、絹の靴足袋をぬぎすてむとするの状、宛然ドガ画中の景に似たるものありしが爲ならずや。歸路の自働車代を合算して十五圓を與ふ。一刻の治夢寤むれば痕なしと雖、偶然二十年のむかしを囘想し得たる事を思へば、其價亦廉なるかな。
『斷腸亭日乘』(12月21日)
食後虎の門理髪店に徃き、櫻川町なる女の家に立寄り、歳暮の心附をなし、漫歩江戸見坂を登りて歸宅す。
『斷腸亭日乘』(12月28日)
薄暮櫻川町の女訪來りければ山形ホテル食堂にて晩餐をともにす。滿月の光に夜は晝の如く風なくして暖なり。女の誘ふがまゝに淺草公園に赴く。ペンキ塗の雷門新に出來、仲店は舊の如く新築せられたり。此夜公園内到處人出少くして靜なり。
『斷腸亭日乘』(12月29日)
快晴。寒風午後に至りて歇む。日暮里病院の歸途櫻川町の女を訪ふ。折好く洗場より歸來りしところなり。銀座通除夕の賑ひを見むと、女の勸むるがまゝまづ銀座食堂に入りて飲む。この店の主人はもと麹町山王社内に在りし酒樓星岡茶寮を營みし者なりとか聞けり。震災後舊の如く營業すれど主人は別人なりと云ふ。 |
倶に爐邊に茶を喫し、雜談する程もなく除夜の鐘聞えはじめしかば、女は予が新春を賀し、再會を約して、獨り明月を踏みて歸れり。
『斷腸亭日乘』(12月31日) |
娘お冨は未の年にて今年三十二なれど二十七八に見ゆ。十八の時或人に嫁し、子まで設けしが不縁となり、其後次第に身を持崩し、果ては自ら好んで私娼となり、築地邊の待合などへ出入する中、大地震の際憲政會の壯士福田某に欺かれ、一年ばかり同棲しゐたりしが、去年の二月頃辛じて其家を逃れ出で、父の許に歸りてゐたりしかど、衣服化ジョ(※「米」+「女」)の費に乏しきまゝ、一時身をおとせし濁江の淵瀬はよく知るものから、再び私娼の周旋宿あちこちと渡り歩く中、行くりなく予と相知るに至りしなり。この女父が豪奢を極めし頃不自由なく生立ちし故、様子氣質ともどもに淺間しき濁江の女とは見えざるも、あながちわが慾目にはあらざるべし。痩立の背はすらりとして柳の如く、眼はぱつちりとして鈴張りしやうなり。鼻筋見事に通りし色白の細面、何となく凄艶なるさま、予が若かりし頃巴里の巷にて折々見たりし女に似たり。先年新富町にて見たりし妓お澄に似て一段品好くしたる面立なり。予の今日まで狎れシタ(※「日」+「匿」)しみし女の中にては、お澄とこのお冨の面ざしほど氣に入りたるはなきぞかし。八重次は美人なりとの噂もありしかど、越後の女なれば江戸風の意氣なるところに乏しく、白鳩銀子は今様の豐艶なる美人なりしかど、肩いかりて姿は肥大に過ぎたるを憾となせり。一昨年震災後、家に召使ひしお榮といふも人々美形なりといひしが、表情に乏しく人形を見るが如き心地したり。然るにお冨は年既に三十を越え、久しく淪落の淵に沈みて、その容色將に衰へむとする風情、不健全なる頽唐の詩趣をよろこぶ予が眼には、ダーム、オー、カメリヤもかくやとばかり思はるゝなり。去年十二月のはじめに初めて逢ひしその日より情交忽膠の如く、こなたより訪はぬ日は必かなたより訪ひ來りて、これと語り合ふべき話もなきに、唯長き冬の夜のふけやすきを恨むさま、宛ら二十前後の戀仲にも似たりと思へば、さすがに心耻しく顔のあからむ心地するなり。人間いくつになりても色慾斷ちかだ(ママ)きものと、つくづくわれながら呆れ果てたり。
『斷腸亭日乘』(1月12日)
晴れて暖なり。ホ(※「日」+「甫」)時お冨の家に赴き夕餉すませて後倶に銀座を歩む。此夜商舗多くは休業の札を下げて店を閉し、散歩の人影亦稀なり。
『斷腸亭日乘』(1月13日)
薄暮お冨夕餉の肴にとて銀座食堂の折詰を携へて來る。寒氣甚しければお冨予が書齋に一宿せり。
『斷腸亭日乘』(1月14日)
此日曇りしかど風なくて暖なり。お冨と晝餉を食して後その家に至り、夜に入りて歸宅す。
『斷腸亭日乘』(1月15日)
昨夜よりお冨來て宿す。今日は午後に至らば歸るべしとて、晝餉もそこそこに歸りの支度する程に、曇りし空一際暗くなりて、風吹き出で雨降り出しければ、天鵞絨のコート再びぬぎて、其のまゝ此夜も亦わが家に宿しぬ。予女に向ひ生涯心配なきやうにすべければ、此のまゝ永くわが家にとゞまる心はなきやと試に問ひてみたりしに、世話女房になりて水仕事するは女のつとめなれば更に厭ふところにはあらねど、一ツ家に起伏すればいかほど睦しき仲にても、一ト月とはたゝぬ中男の鼻につきて末は邪見にせらるゝものなれば、矢張今の如く別の家にすまひ、互に顔を見る時甘きこと言ふて下さるが何よりも嬉しきかぎりなりといふ。予先日よりつらつらこの女の性質を窺ふに、衣食住の贅澤を欲する心更になく、芝居はむかしの狂言は見てもわからぬ故、さそはれても行きたくはなしと言ひ、又新聞や雜誌などは画を見るばかりにて讀みしことなき由。婦人公論と云ふ雜誌の名も知らず、演藝画報と云ふものゝ世にあるや否やも知らざるなり。是虚栄心と知識慾とに驅らるゝ當世の婦人とは全く別種の女なり。されど好きな男に絶えず愛せられむことを冀ひ、折々はわざと心にもなき我儘なる事など言ひかけて、癡話口説に夜を明すことを無上のたのしみとなす所、まさに佛蘭西戀愛劇のポルト、リツシユが戯曲中の女とも言ふべく、江戸時代の女には見る可からざる性情なるべし。そは兎に角、予はお冨が當世流行の出版物を手にせず、又興行物に對して其善惡に係らず全く無頓着なる所、何よりも嬉しき次第なれば、其の請ふがまゝに月々世話することにしたり。
『斷腸亭日乘』(1月16日)
お冨の家櫻川町より江戸見阪下明舟町に移轉せし由。初更の頃行きて訪ふ。
『斷腸亭日乘』(1月19日)
風歇み晴れて暖なり。午後お冨を送りて其家に至り、門口にて別れ、氷川神社のあたりより三河臺の邊を歩みて歸る。
『斷腸亭日乘』(1月20日)
終日執筆。薄暮お冨の家にいたり夕餉を食し、八時頃倶に家に歸り來り蚤く臥床に入る。寒月晝の如し。
『斷腸亭日乘』(1月21日)
正午お冨の歸るを送り、虎の門より三菱銀行に赴き、二時頃家に獨る。書齋睡房を掃除して沐浴すれば、日は忽暮れかゝりぬ。老媼の運來る夕餉を食し、燈下また舊稿をさつて医刪訂す。
『斷腸亭日乘』(1月22日)
夜初更のころお冨來りて門を敲く。出でゝ問扇を開くに、皎々たる寒月の中に立ちたる阿嬌の風姿、凄絶さながらに嫦娥の下界に來りしが如し。予恍惚殆自失せんとす。
『斷腸亭日乘』(1月23日)
天氣澄霽。午後巖谷生田の二子電話にて歌舞伎座觀劇を促されしかど、お冨來りし故辭したり。ホ(※「日」+「甫」)時銀座に徃きお冨の家にて夕餉を食して歸る。
『斷腸亭日乘』(1月24日)
お富を携へ夕餉の後銀座を歩む。
『斷腸亭日乘』(1月26日)
お富の家にて夕餉をなさむとて黄昏門を出で江戸見阪を下る。明月地を離るゝこと二三尺。暮靄を帶びたる都市の全景眼底に輻輳す。覺えず杖をとゞめて觀望す。夜暖なること治の如し。
『斷腸亭日乘』(1月29日)
快晴。正午松莚子電話にて晝餉を倶にすべしと言越されしが、腹痛甚しく下痢を催し徃くこと能はず。終日湯婆子を抱いて臥す。夜に至り稍快方に向ひ稍粥一二碗をすゝる。初更お冨來りて看病す。
『斷腸亭日乘』(2月1日)
夜お冨と銀座を散歩す。
『斷腸亭日乘』(2月6日)
夜お冨と銀座に飯す。
『斷腸亭日乘』(2月9日)
銀座通り惠須喜茂といふ洋風飲食店にてお冨と夕餉を食す。震災前新橋堂書店の在りし處なり。書店の主人野村氏は3階に居住し、階下の店を飲食店に賃貸をなせるなり。雜誌新刊書類を置くよりも遥に収益ありと云ふ。
『斷腸亭日乘』(2月13日)
日暮江戸見阪下お冨の家に立寄り、數寄屋橋に近き侘蕃(タバン)とよぶ洋食店三一子ひゐきなる由にて、晩餐をなす。料理は附近のライオン又は精新(ママ)軒などより優りたり。銀座を歩み築地に出で、予が徃年舊居のほとりなる狐といふ菓子屋の喫茶室に入りて憩ふ。小山内薫田嶋淳の二氏築地小劇場より來りて笑語する事一時間ばかり。車を倩ひお冨と共に歸る。
『斷腸亭日乘』(2月21日)
午後演舞塲に赴き、お冨の家に立寄り夕餉を食して歸る。
『斷腸亭日乘』(2月27日)
午後お冨と銀座を歩み淺草公園に至り金田に餔す。
『斷腸亭日乘』(3月8日)
風寒し。お冨來る。
『斷腸亭日乘』(3月18日)
夜お冨來る。
『斷腸亭日乘』(3月29日)
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