長塚節ゆかりの地


長塚節の歌碑

宮崎市青島に宮交ボタニックガーデン青島がある。

 大正3年(1914年)9月9日、長塚節は台風のため青島から宮崎に避難する。13日、長塚節は宮崎から青島に戻り、青島最後の夜を過ごす。

   九日、再び時化になりたればまた宮崎にのがる、
   人のもとにて梨瓜といふを皿に盛りてすゝめらる、
   此の地方西瓜と共に瓜を産することおびたゞし

瓜むくと幼き時ゆせしがごと竪さに割かば尚うまからむ

   十三日、漸く折生迫にもどれば同人の手紙などとゞきて居た
   るを一つ一つと披きみてはくりかへしつゝ

とこしへに慰もる人もあらなくに枕に潮のをらぶ夜は憂し

むらぎものこころはもとな遮莫をとめのことは暫し語らず

「鍼の如く 其の五」

宮交ボタニックガーデン青島に長塚節の歌碑があった。


とこしへに慰もる人もあらなくに
枕に潮のおらぶ夜は憂し

昭和30年(1955年)11月3日、宮崎労働文化協会(自由労働者)建立。

昭和31年(1956年)2月8日、除幕式。

 長塚節が青島に旅したのは、大正3年夏のことである。日南日向の自然にあこがれを抱いての、養生のための旅だった。その旅の間、心を離れぬひとりの女性があった。この歌はその女性と結婚できず、翌大正4年病死した悲劇の歌人、節の最高の秀歌と言われている。

人伊藤一彦

碑陰には宮崎労働文化協会の南正路の歌が刻まれている。

たまゆらの命さびしくさすらへる
長塚節が目に青き島

フェニックス


宮崎県の木である。

青島と鬼の洗濯板


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