太田南畝


蜀山人の碑

台東区上野公園に上野恩賜公園がある。


上野恩賜公園の黒門跡に蜀山人の碑があった。


一めんお花ハ碁盤の上野山黒門前にかゝるしら雲

 碑面には、大書してこの歌を刻む。ついで、蜀山人についての説明、碑建設のいきさつを、細字で刻んでいる。歌の文字は蜀山人の自筆であるという。

 蜀山人は姓を大田、名を蕈、通称を直次郎といった。蜀山人はその号である。南畝・四方赤良(よものあから)など、別号多く、一般には大田南畝と呼ぶ。幕臣であったが、狂文・狂歌を良くし、漢学・国学を学んで博識であった。江戸文人の典型といわれ、狂歌の分野では唐衣橘洲(からごろもきっしゅう)・朱楽管江(あけらかんこう)とともに、三大家と評された。文政6年(1823年)没。

 江戸時代、上野は桜の名所であった。昭和13年、寛永寺総門の黒門跡に、その桜と黒門を詠み込む蜀山人の歌一首を刻み、碑が建てられた。郷土色豊かな建碑といっていい。

 平成4年11月

台東区教育委員会

この日活版摺の手紙にて上野清水堂のほとりで秋色さくらの發句をほりたる石を建る由。自ら披露し來れるものあり。發起人の名前は公爵某大將某博士某某などなり。先年蜀山人の狂歌をも上野に発てし由。賣名者の爲すところ滑稽至極といふべし。

『斷腸亭日乘』(昭和16年4月16日)

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