西行ゆかりの地
『山家集』
春の歌 梅に鶯の鳴きけるを 梅か香にたぐへて聞けばうぐひすの聲なつかしき春の山ざと 小ぜりつむ澤の氷のひまたえて春めきそむる櫻井の里 ねがはくは花の下にて春死なんそのきさらぎのもち月の頃 山家呼子鳥 山ざとに誰を又こはよふこ鳥ひとりのみこそ住まむとおもふに 佛には櫻の花をたてまつれわが後の世を人とぶらはば 夏の歌 美濃の國にて 郭公都へゆかばことづてむ越えくらしたる山のあはれを 秋の歌 女郎花水近 女郎花池のさなみに枝ひぢてもの思ふ袖の濡るゝ顔なる 久しく月を待つといふ事を 出でながら雲にかくるる月かげをかさねて待つや二むらの山 名所の月といふことを 清見潟沖の岩こすしら波に光をかはす秋の夜の月 海邊月 清見潟月すむ夜半のうき雲は富士の高嶺の烟なりけり 遠く修行し侍りけるに、象潟と申所にて 松島や雄島の磯も何ならずただきさがたの秋の夜の月 小倉の麓に住み侍りけるに鹿のなきけるをきゝて 牡鹿なく小倉の山のすそ近みたゞひとりすむ我心かな 荒れわたる草のいほりにもる月を袖にうつしてながめつるかな 冬 歌 月をまつ高嶺の雲は晴れにけり心ありけるはつ時雨かな 題しらず 千鳥なく繪嶋の浦にすむ月を波にうつして見る今宵かな 西國へ修行して罷りける折、兒嶋と申所に、八幡のい はゝれ給ひたりけるに籠りたりけり。年經て又その社 を見けるに、松どもの古木になりたりけるを見て むかし見し松は老木に成にけり我年經たる程も知られて 羈旅歌 |
天王寺にまゐりけるに、雨のふりければ、江口と申す所に宿を借りけるに、かさざりければ |
世の中をいとふまでこそかたからめかりのやどりを惜しむ君かな かへし 家を出づる人とし聞けばかりの宿に心とむなと思ふばかりぞ 天王寺へまゐりて、龜井の水を見てよめる あさからぬ契の程ぞくまれぬる龜井の水に影うつしつゝ 庵のまへに松のたてりけるを見て 久にへて我が後の世をとへよ松跡したふべき人もなき身ぞ ここを又我が住みうくてうかれなば松はひとりにならむとすらむ |
大師の生れさせ給ひたる所とて、めぐりしまはして、そのしるしの松のたてりけるを見て |
あはれなり同じ野山にたてる木のかゝるしるしの契ありけり 岩にせくあか井の水のわりなきは心すめともやどる月かな 雜 歌 |
いにしへ頃、東山に阿彌陀房と申ける上人の庵室にまかりて見けるに、何となくあはれにおぼえて詠める |
柴の庵と聞くは悔しき名なれども世に好もしき住居なりけり しほそむるますをのこ貝ひろふとて色の濱とはいふにやあるらむ |
あづまの方へ、相知りたる人のもとへまかりけるに、さやの中山見しことの、昔になりたりける、思ひ出でられて |
年たけて又こゆべしと思ひきや命なりけりさやの中山 あづまの方へ修行し侍りけるに、富士の山を見て 風になびく富士の煙の空にきえて行方も知らぬ我が思ひかな |
陸奥の國へ修行して罷りけるに、白川の關に留まりて、所柄にや常よりも月おもしろくあはれにて、能因が、「秋風ぞ吹く」と申しけん折何時なりけんと思出でられて、名殘り多くおぼえければ、關屋の柱に書き付けける |
白川の關屋を月の洩る影は人の心を留むる成けり |
關に入りて、信夫と申邊、あらぬ世の事におぼえて哀れなり。都出でし日數思ひ續けられて、「霞と共に」と侍ることの跡辿り詣(ま)で來にける心一つに思知られて詠みける |
みやこ出でて逢坂越えし折までは心かすめし白川の關 |
武隈の松は昔になりたりけれども、跡をだにとて見に罷りて詠みける |
枯れにける松なき跡の武隈はみきと言ひても甲斐なかるべし |
陸奥の國にまかりたりけるに、野の中に常よりもとおぼしき塚の見えけるを、人に問ひければ、中將の御墓と申は是が事なりと申ければ、中將とは誰がことぞと、又問ひければ、實方の御事なりと申ける、いとかなしかりけり。さらぬだに物哀に覺えけるに霜枯れ枯れの薄、ほのぼの見えわたりて、のちに語らんも言葉なきやうにおぼえて |
朽ちもせぬその名ばかりを留め置て枯野の薄形見にぞ見る |
とふ人も思ひたえたる山里のさびしさなくは住みうからまし |
陸奥の奥ゆかしくぞおもほゆる壷の碑そとの濱風 |
十月十二日、平泉に罷着きたりけるに、雪降り、嵐激しく、殊の外に荒れたりけり。いつしか衣河見まほしくて罷りむかひて見けり。河の岸につきて、衣河の城しまはしたる事柄、様變りて物を見る心地しけり。汀凍りて取り分き冱えければ |
取り分きて心も凍みて冱えぞ渡る衣河見に來たる今日しも |
伊勢の二見の浦に、さる様なる女(め)の童どもの集まりて、わざとのこととおぼしく、蛤をとり集めけるを、いふ甲斐なき蜑人こそあらめ、うたてきことなりと申ければ、貝合せに京より人の申させ給たれば、選りつゝ採るなりと申けるに |
今ぞ知る二見の浦のはまぐりを貝合せとて覆ふなりけり |
ふりたるたな橋を、紅葉のうづみたりける、渡りにくくてやすらはれて、人に尋ねければ、おもはくの橋と申すはこれなりと申しけるを聞きて |
ふまゝうき紅葉の錦散りしきてひとも通はぬおもはくの橋 |
陸奥の國に平泉に向ひて、たはしねと申す山の侍に、異木は少き様に櫻の限見えて、花の咲きたりけるを見て詠める |
きゝもせずたはしね山の櫻花吉野の外にかゝるべしとは |
神祇歌 |
俊恵天王寺にこもりて、人々具して住吉にまゐり歌よみけるに具して |
住よしの松が根あらふ浪のおとを梢にかくる沖つしら波 みもすそ二首 初春をくまなく照らす影を見て月にまづ知るみもすその岸 みもすその岸の岩根によをこめてかためたてたる宮柱かな |
太神宮御祭日よめるとあり 何事のおはしますをば知らねどもかたじけなさの(に)なみだこぼるゝ |