旅のあれこれ文 学


永井荷風ゆかりの女性

清元秀梅

初清元梅吉弟子、大正十一年頃折々出會ひたる女なり、本名失念大坂商人の女

『斷腸亭日乘』(昭和11年1月30日)

大正11年(1922年)

晴。夜清元秀梅と牛込の田原屋に飲む。秀梅醉態妖艶さながら春本中の女師匠なり。毘沙門祠後の待合岡目に往きて復び飲む。秀梅欷歔啼泣する事頻なり。其聲半庭の虫語に和す。是亦春本中の光景ならずや

『斷腸亭日乘』(8月30日)

夜、清元秀梅大阪の實家に用事ありて昨夜東京を出發し唯今京都の停車場に下車したりとて余が旅館に電話をかけ來る。京極の翁屋といふ牛肉屋に飯し、三條通の旅亭に憩ふ。深更秀梅寢亂れ髪のまゝ大阪に赴きぬ。

『斷腸亭日乘』(10月13日)

雨歇む。松莚子神戸興行先より書を寄す。清元秀梅既に歸りて東京に在り。烏森の某亭に飲む。

『斷腸亭日乘』(10月19日)
   〜清元秀梅に逢ふ〜

松莚君電話にて、明治座出勤午後三時過なればとて、風月堂に招がる。徃きて午餐を與にす。歸途日蔭町村幸書房を訪ひ、烏森の某亭にて清元秀梅に逢ふ。

『斷腸亭日乘』(11月13日)

晴れて風寒し。清元秀梅と牛込の中河に飲む。

『斷腸亭日乘』(11月22日)

毎日天氣よく風なし。夜帝國劇塲に徃き、それより清元秀梅を訪ひ烏森に飲む。

『斷腸亭日乘』(12月10日)

夜清元秀梅と烏森の某亭に逢ふ。秀梅は曾て梅吉の内弟子なりしが、何かわけありし由にて、其後は麻布我善坊の清元延三都といふ女師匠の許にて修業をなし、その札下の師匠となれるなり。去年の暮ふと飯倉電車通にて逢ひ立話せしが縁となりて、其後は折々わが家にも來るやうになりたり。今年の夏頃は牛込麹町邊の待合に度々連行きぬ。其後しばらく電話もかけ來らざれば如何せしかと思居たりしに、今月のはじめ又尋ね來れり。清元の事を音樂とか藝術とか言ひて議論する一種の新しき女なり。父は大阪の商人なる由。

『斷腸亭日乘』(12月17日)

冬の日窓を照して暖なり。終日机に凭る。唖々子書を寄す。版食の後清元秀梅と銀座を歩む。

『斷腸亭日乘』(12月23日)

清元秀梅と神樂坂の田原屋に飲み、待合梅本に徃き、秀梅の知りたる妓千助といふを招ぐ。此夜また暖なり。

『斷腸亭日乘』(12月27日)

午後微雨。雜録耳無草執筆。夜、半輪の月明に、風靜にして暖なり。秀梅と逢ふ。
『斷腸亭日乘』(12月29日)

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